あんね つれづれ

「あんね つれづれ」バックナンバー

更新日:

工房の所在地、大宜味村安根を巡る徒然日記(文責 森山高史


歩いています。
工房の周り、駐車場の先、その繰り返しでも数千歩になります。
人に会わないのでマスクも不要ですが、厭きてしまうコースです。

海岸を歩くこともあります。
百段の石段を何往復かすることもあります。
二百四十段のきつい階段ルートもあります。

冬限定、最高気温15度以下で、山歩きにも出かけます。
スカイツリーほど高さのある山は、琉球列島に存在しません。
登るのは、標高が東京タワーくらいの山です。

登山口の標高からすれば、高低差は百メートルちょいくらいでしょう。
国頭、大宜味、本部半島だけでも、簡単に登れる山がいくつかあります。
あの「日本三百名山」には、ひとつも入っていません。

ネクマチヂ岳とか、デーサンダームイとか、名前なら異国の高峰です。
でも、登山口から、驚くほど短時間で頂上まで達します。
雨具も食料も水も、荷物はなにも持ちませんよ。

若い頃、北アルプス、南アルプス、北海道の山などに親しんでいました。
でももう、登山靴などは、みんな処分しました。
いまはウォーキングの延長で登っていますが、結構息が上がります。

次に寒い日がきたら、安根川を源流まで遡ってみましょう。
去年の台風で荒れたあと、誰も歩いていないはずです。
川歩きなのに、作業用の手袋をして、鎌も持っていきます。

安根に工房を移して13年、ぽつんと今日も、昨日の続きです。

2021年2月

◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

あんね つれづれ

三ヶ月迷った末、amazonからウクレレを買いました。
テナーウクレレといって、一般的なウクレレよりは大きいです。
弦の高さは違いますが、ギター経験者には馴染みやすい楽器です。

きっかけは、テレビで見た荻野目洋子です。
ウクレレを弾きながら、「コーヒールンバ」を歌っていました。
1961年に西田佐知子でヒットした、あのコーヒールンバです。

ウクレレのイメージが変わるほど軽快でした。
楽器と曲と彼女が合っていて、自分でも弾いてみたくなったのです。
音に余韻がないことが、長所にも短所にもなる楽器です。

コード(和音)を押さえ、4弦同時に親指あるいはピックで弾きます。
ギターとは指の位置が全く違うので、コード一覧表を見ながらです。
それでも、なんとかコーヒールンバを弾けるようになりました。

60年前は、洋楽のヒット曲に日本語の歌詞をつけるのが普通でした。
元の詞を忠実に訳す努力はせずに、ポップな歌詞になっています。
その詞は、現在でも色褪せないクオリティです。

この習慣は、ビートルズの出現と同時になくなった気がします。
英語で歌い、自ら演奏するという文化が、日本に普及したのです。
1960年代半ば、エレキギターを持って、みんな「不良」になりました。

いま、まさかのマイウクレレでよみがえる「コーヒールンバ」。
古い歌集の中から、なにかウクレレに合う曲を探しています。
次は荒木一郎の「風に向かって」と、自作の「Michi」を完成させます。

あ、新しい歌は、詞もメロディも沁みてこないので、手を出しません。
♪♪みんな陽気に~飲んで踊ろう~愛のコーヒー・ルンバッ!
これこれ、これですよ!

2020年10月

◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

とうとう咲きました、サガリバナ。
陽が落ちてから開花し、夜が明けるころ落花する、一夜限りの花です。
次の夜は夜で、となりの蕾が開きます。

2012年、工房を囲むように流れる小さな安根川が氾濫しました。
工房の脇で、土の堤防が決壊したのです。
敷地内の全部が池のようになりました。

サガリバナの苗を植えたのは、その翌年か、もっとあとだったか。
ともかく、何年か過ぎて、この夏、ようやく花を咲かせました。
以前は、遠出してまで、わざわざ見に行っていた花です。

垂れ下がって花が開くのでサガリバナ。
可憐ですが、華麗な花です。
今日はどれくらい咲いたかと、毎夜の楽しみです。

ライトアップはされていませんねえ。
懐中電灯がなければ、気づかない暗闇です。
それから、昼間は、ただのミドリです。

2020年8月


◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇


工房から見える景色は、空を別にすると、緑一色です。
人工の物はほとんど、いやいや、全く見えません。
濃い薄いの変化だけがある、グリーンランドなんです。

緑ではない色を探してみました。
雑木の幹の薄茶色、崖が崩れた黄土色。
あとは季節によって、白い花、赤い花。

夜は当然、ほかからの光は入りません。
外灯やヘッドライトも見えません。
月明かりと星明かりだけです。

ポツンと一軒家――というわけでは、ありません。
100m西へ歩けば、人家も国道もあります。
北、東、南の三方向だけなら、見事にポツンとしています。

行き止まりになるので、通り過ぎる人も車もありません。
新聞も配達されません。
でも、快適に過ごしていますよ。

やがて緑の中で、花芭蕉のピンクが、彩りを加えるはずです。

2020年6月

◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 


この写真は、いのししが土を掘り返した跡です。
森とか原野ではなく、我が工房と住居を取り囲む「庭」なんです。
11月、12月と、ほぼ連夜、親子4頭でやってきました。
何かを食べる目的ではなく、鼻先で土を掘り返すことに快感があるようです。

以前から、冬場には、いのししの通路になっていました。
我が家の敷地を経由して、どこかを往復していました。
この冬は、我が家の地面が目的地になりました。
雑草の緑は掘り返され、9割が茶色のゴツゴツに変わりました。

小柄なリュウキュウイノシシなので、それほど恐くはありません。
私が今までに見たどの子牛よりも小さく、どの成犬よりも大きいです。
ときどきは、こども数頭だけで掘っていて、気づいた犬が吠えます。
電灯を持って、私が追う素振りをすると、一目散に逃げていきます。速い。

親は、そうはいきません。
大声も、ホイッスルも、棒を持っての威嚇にも、動じません。
喚きながらおそるおそる近づくと、ようやく藪の中へ去っていただけます。
周辺から、何本もの獣道がつながっているのです。

ケモノミチという言葉は、少し前まで、文学上の比喩表現だと思っていました。
藪の中にトンネルが、あちこちから通じているのです。
ときには、川の中や歩道も利用して、移動しています。
用心深く、移動や行動はいつも夜間で、はっきりと姿をとらえにくいのです。

ストロボが届く距離まで近づけず、写真も、ぼんやりとしか写りません。
雨が降ると、掘られた穴に水が貯まり、高層湿原の池塘群の様相です。
我が家の犬は、戦力として、当てにできません。
遠くにあっては吠え、近づけば尻込みするという、飼い主に似た性格です。

連夜の来訪、脅しの大声と威嚇の棍棒、とりあえず退散の繰り返し。
いたちごっこならぬ、イノシシゴッコです。
しかし、新年とともに、ぴたりと来なくなりました。
連中も気分一新、よそに良い場所を見つけたのでしょう。

獣道に、荷造りロープとコンビニ袋で、怨霊封じのちゃちな結界を張りました。
連中は賢くて、罠をすぐに見破り、近づきません。
そこで、罠なんてないのに、「罠」を見破ってもらって、遠のいてもらいました。
そもそも、この場所には、新規に掘り返す土も少なくなっていました。

安倍晴明とか忍者の世界のように、悪霊退散、立入禁止の結界があったのです。
威嚇の言葉は、古来伝統の「こらあ~!」が自然に出ることも分かりました。
かくして、今年の「こもれび冬の陣」は終わりました。
私たち以上に、我が家の犬が、ほっとしているようです。

と、ここで文章を直しているいま、1ヶ月ぶりに連中が戻ってきました。
結界を張っていない別の獣道からの進入で、犬が吠えます。
それ以上に、私の「こらあ~!」の大声が、昭和チックに響きます。
勝利宣言は撤回です。

私と犬のストレスが復活しました。

2018年1月

◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇


2015年5月

◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇


工房の手前40mに立ちふさがる「狭き門」です。
軽自動車なら、注意すれば、ミラーもそのままで通過できます。
狭いだけでなく、途中で微妙に曲がり、幅も微妙に異なっています。
注意を怠り、勢いで真っ直ぐ進ませると、ミラーをこすります。

中型車はミラーをたたんでも厳しく、ボディをこする車もあります。
塀には、いくつもの傷跡がラインになって残っています。
塀の途中で戻ることは難しく、踏み込んだら往復してもらいます。
夜間は灯りがなく、左右の余裕が分からないため、一層困難です。

たいていの車は「狭き門」の手前で駐車して、あとは歩いて来ます。
なんとしても通過してくるのは、40mでも歩きたくない地元の人です。
この狭い径を利用せずに、外部と繋がる方法はありません。
それが嫌なのかと二択で問われれば、「NO」のほうに丸します。

工事の重機やトラックも、小型のものしか入れません。
消防車、救急車、霊柩車は、小型サイズも揃えてあるのでしょうか。
・ ・ ・ ・。

2013年10月

◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇


「地味で暗くて、向上心も協調性も、
存在感も個性も華もない、パッとしない子」
「あまちゃん」アキにママが言い続けた、お決まりのフレーズです。
そんなアキでしたが、見事に脱皮して、まばゆい存在になりました。

そのフレーズのまま脱皮せず、細々と暮らす家族が此処にいます。
「パッとしない大人」から「パッとしない老人」に変わっただけです。
朝ドラのように、劇的に変わっていく要素、環境がありません。
地味なバアバ、華のないジイジで、テーマ曲も物語も生まれません。

暗くても、それを良しとしているので、明るさは眩しいだけです。
向上心は多少ありますが、成果は見えず、思惑どおりにいきません。
こちらから話し掛けることが苦手で、協調性がないんでしょうね。
人と話すのは好きなので、話し掛けられることを切望しています。

気づかれることも少なく、なんとなく日蔭に立つ傾向にあります。
好んで引きこもっているわけではありませんが、そうなります。
人のいる場所に出向くときは、ある程度の決意を必要とします。
私たちが仙人・魔女を目指しているというのは、根も葉もない噂です。

子連れの旅では、地方の遊園地で「ゆるく」なるのが楽しみでした。
最近は絶叫マシン系が主流で、年齢制限があるそうです。
十歳未満禁止とかと並んで、上限年齢が設定されているのです。
年を重ねると、もう九歳児以下と同等の扱いで、締め出されます。

シニア割引の恩恵に浴する資格はありますが、ほとんど無関係です。
シルバーシートの利用も、微妙な年齢・外見で、結局利用しません。
空席なら坐ってみたい日もありますが、周囲の非難の眼が怖いです。
銀髪でなくては、シルバーの恩恵は受けられない仕組みですか。

イチローが日米4000本安打を打ったときのインタビューです。
「昔できたことが今できないみたいなことは見当たらないんですよね」
数年前、いや、ほんの一年前まで、私もそう思っていました。
体力、覇気、意地、みんな変わってないと、騙して生きてました。

とうとう体のあちこちが、「トシ」なんだぞと、警告を始めました。
医師から、原因は加齢によるものだと、気の毒そうに宣告されました。
作業をしても、スピードが落ちていることが結果から分かります。
本を読んでも、何度も中断が入り、一気に進めません。

でも、この場所での芭蕉布づくりで、停滞はできません。
畑から製品まで、どの過程も自転車と同じで、休んだらずっこけます。
「村の渡しの船頭さん」のように、自転車、しっかりこぎ続けます。

2013年9月

◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇


古くは、大毎オリオンズと申します。
ファンの極めて少ないことが話題になるプロ野球チームでした。
現在、千葉ロッテマリーンズを名乗っております。
若いファンが律儀で、羨ましいほど熱い応援が続きます。

球場だけでなく、我が家のテレビの前でも熱心な応援があります。
特定のBS局ですが、結構な割合で試合中継が入るのです。
当工房ではその日、仕事も犬の世話も食事も早く終えて備えます。
片や応援歴55シーズン目、片や応援の「あまちゃん」です。

その試合、勝ちパターンならヒーロー探しをします。
練習を重ねたであろう、地味な職人プレーに1票入れます。
負けパターンのときは、優しく見守りません。
戦犯探しです。

打てなかった、打たれてしまったという未熟さは、仕方ありません。
集中力に欠ける走塁ミスやバントミス、配球ミスに厳しいです。
きびきびできない守備や、逃げて四球にしてしまう捕手も駄目です。
同じ選手の名前が、溜め息まじりに繰り返し出てきます。

テレビ前での私たちの緊張が伝わるのか、犬たちも静かです。
得点が入って歓声をあげたときは、犬たちも同調します。
たぶん家族のつもりで、一緒に応援しているのだと思います。
今度は、家族全員でのブーイングを教えたいです。

「あまちゃん」でも、かなり分かってきましたよ。
この前まで、スリーバントやスイッチヒッターを知りませんでした。
今では、投手の交代時期や監督の采配にも意見します。
打ち取るたびに、1試合で27回近く、「よし」と言っています。

テレビでの観戦は、顔のアップから「心理」がのぞけるのが好きです。
ここぞの1球、構える・投げる・打つ・守るの緊張が好きです。
その数秒間だけ息を凝らすこと、普段ないですからね。
休みなく動いている競技では、気持ちを同化できません。

接戦で負けた直後は脱力感、それから自己嫌悪が始まります。
律儀で優しいファンと違い、弱小チームと心中する運命を呪います。
ベテランの気を抜いたプレーをののしり、昔日の栄光を封印します。
世の中の一番情けない応援、見苦しいファンですが、反省しません。

小学校の卒業文集で、将来の夢は「野球選手」と正しく書けましたか。
この「野球評論家」って書くような、ひねくれたガキって嫌です。
大きくなったら・・・・こうなります。

2013年8月

◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇


この3月、5匹の子犬が生まれました。
全員、里子に出すつもりで、のんびり構えていました。
私たちがそうだったように、子犬を欲しがる人はどこにもいます。
成犬とは、事情が違います。

護岸工事で、関係者が何人も出入りしていました。
離乳前というのに、オス3匹の里親が、つぎつぎ決まりました。
3人とも、作業している年輩の男性です。
黙って待っていれば、向こうから申し込んでくれます。

残ったのが、メス2匹です。
メスには、まったく声が掛かりません。
そこで、初めて売り込みにかかりました。
どんなことでも、積極的な行為は、かなり苦手な分野です。

知人隣人親戚関係は、全戦全敗でした。
その間にも子犬は離乳し、みるみる大きくなっていきます。
いつまで「子犬」でいられるのか、あせります。
「坊や大きくならないで」という反戦歌がありましたね。

街に出て、掲示できる場所に何枚かの写真を貼りました。
ここまでやれば、すぐに問い合わせがくるはずです。
子犬の写真を見て、とりあえず飼いたいと誰もが思うはずです。
電話を待つので、留守もできません。

電話、鳴りません。
誰も犬を見にきません。
どうやら、このまま私たちが飼い続ける気配です。
なにが悪いの、誰のせいよと、性格が悪くなっていきます。

離れることが分かっているのでと、名前をつけていません。
区別するため、見たままの毛の色で呼んでいます。
それでは子犬たちも、居心地が良くないでしょう。
なにか気の利いた、気取った名前を考えるタイムリミットです。

飼い主のあせりを知ってか知らでか、子犬は食いまくります。
5匹時代の生存競争の名残で、吸い込むような早食いです。
こちらのあせりを知っているとは、とても思えません。

2013年7月

◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇


工房を囲むように、安根川が蛇行しています。
去年の大型台風直撃で、とうとう護岸が決壊しました。
敷地内を水が流れ、あれよあれよと地面が見えなくなりました。
建物だけが池に浮かぶようで、そうなんです、「陸の孤島」でした。

犬たちを解放し、急いで避難しました。
未練がましく橋向こうに少しとどまっていたのですが、
橋が流されたかと思えるほど、水かさが一気に増えていきました。
高潮が海から逆流して、川の流れを押しとどめていたのです。

帰宅すると、地面近くにあったものは全部流されていました。
プランターとか物干しはもちろん、犬小屋やブロックも流されました。
洗濯機やエアコン室外機は倒され、土砂まみれで使用不能です。
このレベルの超大型台風が、2週間おきに3度きたのです。

わが人生で体験した大きな台風ベスト(ワースト)3が、
なんの因果か、去年1ヶ月の間に集中しました。
その間は、修復を終えるたびに襲われ、
「元の木阿弥」「いたちごっこ」という言葉が浮かびました。

それでも冬になるまでに、護岸を除いて、原状回復させました。
それまで土の護岸には、斜面に沿って糸芭蕉が植えてありました。
当工房の芭蕉畑はうるま市にあり、何千本かを育てています。
安根の糸芭蕉は栽培目的ではなく、岸の土を固定するのが目的です。

激流に土をえぐられて、糸芭蕉の多くが流されました。
今年になって、石を積み上げた大規模な護岸工事が完成しました。
国の臨時予算が使われたようです。
安全性は高まりましたが、糸芭蕉に囲まれる風情はなくなりました。

護岸の石を崩さないと、糸芭蕉を復活できません。
無粋な安全より危険な風情を重んじる――そんな考えは・・ありません。

2013年6月

◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇


台風9号は暴風と大雨が長時間続き、ただただ耐えていました。
台風には慣れているのに、今回は初めて、怖い思いをしました。
停電はいつものことですが、工房では、水道まで止まりました。
一輪車が飛ばされ、メーター横の水道管を直撃、破裂させたのです。

安根川は激流となって、木をなぎ倒し、岸をえぐりました。
植わっていた糸芭蕉ごと、岸の盛り土を持って行かれました。
家の窓のすぐ下を、むき出しの川が流れるようになりました。
次の大雨までの猶予で、穏やかな小川が、部屋から楽しめます。

いつもの駐車スペースに、車より大きい岩が滑り落ちていました。
車を少し移動していたので、岩まで20cmの隙間が保て、無傷でした。
もう、その岩は、重機を使っても動かせないでしょう。
いつも通りに駐めていたら、車は「オブジェ」になっていました。

以前の台風でも、犬小屋は飛ばされたり、横倒しになっています。
今回は、ばらばらに分解しました。
立体部分がなくなり、釘の出た板きれになっていました。
犬たち、当分はホームレスになります。

糸芭蕉は、強い植物です。
バナナの木は倒れているのに、糸芭蕉は立ち続けています。
さすがに、葉はボロボロですが、枯れてはいません。
繊維を採る段階で、影響が出るかも知れません。

雨ニモマケズ、風ニモマケズって、どの程度のものですか?
とても、勝てません。
せめて、引き分けに持ち込めるよう、あがいてみせまする。

2011年8月

◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇


私たちの工房は、国頭郡大宜味村安根にあります。
くにがみぐん・おおぎみそん・あんねと読みます。
安根に住んでいるのは、私たちのほかに4世帯4人だけです。
もちろん、子どもも若者もいません。

昨年まで工房を置いていた白浜もそうでした。
人口は十数人、50歳未満のいない高齢者集落でした。
安根はその白浜よりもさらに小さく、もっと「高い」のです。
工房は安根の一番奥、橋を渡った突き当たりになります。

ここは海のすぐ近くなんですが、山に囲まれています。
住宅にしろ、街灯にしろ、ほかの明かりは見えません。
初めて配達に来る宅配便のニィニィたちが迷います。
「そこは、どこなんですか」と、電話を掛けてきます。

敷地は三日月型をしています。
外側の弧に沿って、安根川が流れています。
幅も狭く、水量も少ない川ですが、水はキリリと澄んでいます。
すぐ前に高さ40cmの「滝」があり、水音を響かせています。

「滝壺」を覗くと、テナガエビやメダカが見え隠れします。
布を仕上げる工程で何度も洗濯をしますが、川を利用しています。
工房を訪れる人も、この川だけは誉めてくれます。
そうですね、その気になれば垢染みた「秘境」体験ができますよ。

普段は穏やかな「さらさらいくよ」の小川ですが、
まとまった雨が降ると、濁流となって暴れ出します。
ここに移って台風の直撃がなく、まだ溢れたことはありません。
しかし、集中豪雨で氾濫した履歴があると聞きます。

外界とは、頼りない橋だけでつながっています。
災害でここが渡れなくなったら、どこへも動けません。
そう、噂に聞く「陸の孤島」ってやつです。
役場の担当者は、そうなったときに連絡するよう軽く言います。

そんなときって、電話がつながる状況にありますかぁ。
橋が落ちたり、冠水したとき、向こうの誰か気づいてくれますかぁ。
ロビンソンや十五少年の物語なら、確かにワクワクしましたよ。
自分の立場に置き換えると、とてつもなく引いてしまいます。

仕方ないので、がんばってみます。

2009年12月

◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇


最近のマイ・ブームは、フィットネスです。
スポーツジムで、エアロビクスやボクササイズの真似をし、
二十種以上の器械を使って、全身に鞭を打ち、
ジャグジー付きのプールでリラックスします。

都会なら、相当な料金になるでしょうね。
こちらでは、そば代くらいで利用できます。
それでいて、昼も夜も空いています。
プールでは当然、コースを占領できるのです。

筋トレでは、隣の「若いモン」に対抗して、
余裕なく、限界まで見栄を張ってしまいます。
もう、「M」的に自分を痛めつけています。
2日後に、どどどっときて、哀しい現実を悟ります。

トータルで、3~4時間も運動します。
成果は、探しているのですが、まだ見当たりません。
でも、全部を終えて、帰り道が爽やかなんです。
こんなに健康優良児だったんだと、ほめ合っています。

正確には、健康オタク中高年です。

2009年11月

◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇


2005年、富良野と美瑛を舞台にして、
「優しい時間」というテレビドラマがありました。
森の入口あたりにあるカフェでは、マスター役の寺尾聡が、
うつむき加減で、物憂げな表情を見せていました。

その店では、常連客も観光客も、
コーヒーを注文すると、客自身で豆を挽くことになります。
「道具」を渡された客は、ギーコギーコとハンドルを回して、
自分と向き合ったような数分間を過ごします。

そのときは、「ベタ」な設定だと感じていましたが、
今になって、妙にそのシーンが気になってきました。
いつもはインスタントコーヒー派、元々はコーヒー牛乳党なので、
その「道具」の名前すら分かりません。

ネットで簡単に検索できました。
予想よりも遙かに安価だったので、「衝動買い」で注文しました。
そう、ネットショップの利用を覚えた「年輩者」なんです。
購入、販売とも若葉(紅葉?)マークですが、ノープロブレムです。

毎日、ギーコギーコと挽いています。
「優しい」とまでいきませんが、時間がやわらかく流れています。

2009年10月

◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇


もちろん、まだまだ「夏」の盛りです。
それでも朝夕は涼しく、清々しい気分になれます。
この時季の楽しみは、薄着での夕涼みです。
陽が落ちると、犬も人間もそわそわしてきます。

橋の上が、やはりベストです。
われら専用の「こもれび橋」ですからね。
山形寒河江から、純米吟醸酒も持ちこまれました。
ああ、至善至福のひとときです。

酒の肴は、連日モロヘイヤとオクラです。
庭のあちこち、この二種類は本当に元気で枯れません。
ほかの野菜は、ほったらかしでは育ちませんでした。
ただ、こう続くと、さすがにうんざりが近そうです。

たまに動物性のものを肴にして呑むときは、
「安根のNICKEY」が、脇で物欲しそうに見つめ続けます。
要求ではなく、その無口に負けてしまいます。
健気なタイプに、どうも弱いですね。

そろそろ、月が出ます。
山の端から昇る月は、その瞬間以上に、その直前が美しく思えます。
千年前の宮中S女史は、「いとをかし」を連発していましたが、
この微妙な気配を見逃していては、まだまだ浅いなあ。

雑草と草刈の「いたちごっこ」は続きますが、
安根の生活に馴染んできました。

2009年9月

◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 満月のこもれび工房

検索

検索

-あんね つれづれ

Copyright© 芭蕉布こもれび工房 , 2024 All Rights Reserved Powered by STINGER.