essayとか

◆essayとか・・  森山高史(1979年に旧具志川市へ移住. 1987年より大宜味村在住)

この項は、旧「木洩れ日だより」より抜粋のほか、各コラム、各受賞作、未発表作など、順不同、新旧ごっちゃの創作ページになっています。「芭蕉布こもれび工房」と、直接の関連はありません。
(目次は本文とリンクしていません。目次のあと、全ての本文が続きます)

1. 二層のラオスコーヒー 2016
2. 無礼者 2016
3. 浅き夢見し 2008
4. ぼくたちの弁当会 2016
5. 我が家のイノシシくん 2020 
6. わたしのオカリーナ 2020
7. 娘と孫と「おおきなかぶ」 2016
8. 製糖の季節 2016
9. キビ畑テント保育園 2008
10. 山の中の電照菊 1994
11. 夢の嘘(俳句) 2007
12. 雪しまく(俳句) 2018.2
13. さみだるる(俳句) 2018.7
14. 山眠る(俳句) 2018.7
15. さむげたん(俳句) 2018.9
16. 大静寂(俳句) 2019.1
17. 炭鉱住宅(俳句) 2019.6
18. からげんき(俳句) 2019.8
19. 死んだふり(俳句) 2020.4
20. 此処(haiku) 2008
21. 飄々と(haiku) 2018.3
22. 風の宿り(詩) 2004
23. 藁のぬくもり(歌謡アルバム)
24. 風来(短歌) 1977
25. ねえ女将さん(短歌) 2018.8
26. うそつき(短歌) 2019.2
27. 名護湾/酩酊三首(短歌) 2018/2019
28. 七堂伽藍/泥酔七首(短歌) 2019/2020
29. 銅鑼の連打(短歌) 2020.2
30. なんでかねー(短歌) 2020.5
31. ひとりぼっちのリュウ(創作昔ばなし) 1993
32. 三角山の氷(童話) 2008
33. フランス人形(kwaidan) 1989
34. ゴジラだったころ 1994
35. コミューン伝説 2002
36. アイヌ語入門(書評) 1997
37. 奥ゆかしくて 2002
38. 新郎と青年 1994
39. ストーブ列車 1994
40. スロベニアのオバちゃん 2001
41. 民族の祭典 2003
42. イムジン河 水清く 2002
43. 旅は二人三脚 2006
44. 旅の重さ・旅の軽さ 2002
45. 風に酔い、風に舞い 1994
46. 俺達のほしいものは(楽譜) 1981
〃  芭蕉の里(楽譜) 1991
〃  平原暮色(楽譜) 1976
〃  道―MICHI―(楽譜) 2003
〃  少年(楽譜) 1996

  1. 映画の友 2021
  2. 古い嘘(俳句) 2020
  3. 極上の酒 ー歌壇2021ー (短歌) 2022.4
  4. 短歌とか俳句とか 2022.4
  5. 冬銀河(俳句) 2022.4
  6. 威風堂堂(短歌) 2022.5
  7. 聖地巡礼(短歌) 2023.6 
  8. 新北風(みーにし)(詩) 2023.6
  9. And I Love Her 2018/2022 new
  10. 運の無さ(俳句) 2023.6 new
  11. 青いシャツ(短歌) 2023.12 new

                   森山高史 moriyamatakashi48@gmail.com

               
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1.二層のラオスコーヒー (第8回珈琲のある風景エッセイ船倉賞)

□ラオスのアイスコーヒーは、二層に分かれています。グラスの下に練乳を厚く敷き、上からコーヒーを静かに注ぐのです。白と黒で見ばえよく、几帳面なコーヒーです。
□道ばたの屋台でも売られています。プラスチックの椅子に坐って、ひとり飲んでいました。スプーンで混ぜてから飲むのが流儀と思われますが、私は二色の境目あたりにストローの先を浮かせ、口の中で混ざるようにして味わっていました。
□屋台の後ろは寺院のようで、子どもたちが境内で遊んでいます。時折、キャッキャと大騒ぎになります。遊具も道具も見あたりません。何をしているのかと、しばらく見ていました。ラオスは時間がゆっくり流れていき、なにをするにも急がないことが、この国で快適に過ごせるのだと、分かるようになっていました。
□境内に高い木があり、風が枝を揺らし、不規則に葉を落とします。その一枚の葉っぱを狙い、子どもたちが競って、つかみ取る遊びでした。大きい少年は、十歳くらいでしょうか。敏捷で、身長差も有利に働き、葉をつかむ回数が多いようです。ひときわ小さい少女は、五歳か六歳に思えます。葉の下に走っていくのも遅く、一枚も取れていません。年齢に差のある、六人の子どもたちです。
□気まぐれな風が、落ちていく葉っぱの向きを急に変えました。出遅れていた少女に向かっていきます。進みすぎていた少年たちは慌てて戻りますが、少女は見事にキャッチしました。全身で喜びを表した少女は、居合わせた私にまで笑顔を見せてきました。少年たち全員が拍手をして、少女の快挙をたたえます。
□とても美しいものを見た気がしました。物がなくても、豊かに遊んでいます。手元のコーヒーは氷も全部溶けていました。白黒二つの層は完全に混ざり合い、子どものころによく飲んでいたコーヒー牛乳の色になっていました。


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2.無礼者

□国境を越えてオーストリアに入る列車は、スロベニアのその小さな駅から、一日に朝一本だけだった。ブレッド湖から駅までは、七時のバスで十五分。余裕で駅に着く。
□私たち夫婦は、湖を堪能した。歩いて一周もした。手漕ぎボートで、島にも渡った。前日の午後には、行くところがなくなって、予行演習の気分で駅までバスに乗り、普段は買わない指定席の切符まで購入した。
□バスは、なかなか来なかった。湖畔の一角にあるバス停で、ほかに人影はなかった。まあ、経路も所要時間も、前日の予習で分かっている。まだまだ、時間に余裕がある。
□バスは、まだ来ない。予定時刻より、かなり遅れている。もし、列車に乗り損なったら、また一日を湖畔で過ごすことになる。前日に、しっかり確認したはずだ。念のため、もう一度、時刻表を見てみる。やはり七時台には、そのバスだけで、次は一時間あとになる。
□前日には気づかなかったが、バス時刻の右上に、小さな丸印がある。予定しているそのバスだけに付いている。時刻表の下の欄外に、その丸の意味が書かれている。英語ではない。スロベニア語なのだろうが、突然、私は意味が理解できた。休日運休の印だ。もう、確実にそうだ。その日は、日曜日だった。
□この事態を妻に伝え、急遽、ヒッチハイクを試みることにした。まだ大丈夫。乗せてもらえたら、駅までは一本道みたいなものだ。
□ところが、車が来ない。一台も通らない。列車の時刻が迫ってくる。いま、ヒッチできても、ぎりぎりになる。ようやく逆方向に一台行ったが、駅方向に向かう車は来ない。
□列車の発車十分前になろうとしても、まだ通らない。私は完全に諦めた。いまヒッチできたとしても、もう間に合わない。
□と思った矢先、車が来た。無理だ。私は手を挙げなかった。ところが、車の方で止まってくれた。なんと、妻が止めていたのだ。
□普段着の男性と、息子らしき幼い子供が乗っていた。怪しい英語を使って、いまの事情を説明した。発車時刻を聞かれ、そのまま答えた。指定券の払い戻しができるかも知れないので、駅には行ってみることにした。心は沈んでいた。
□彼は、スピードを上げ始めた。いや、話が伝わっていないようだ。もう、間に合わないのだ。危ないことは、しないでほしい。
□駅の手前、踏切で止まった。やはり、発車時刻は過ぎている。踏切を越えて、すぐ右が駅舎だ。ホームに列車が止まった。あれあれ、運転席は、国境方面に向いている。長い編成で、ローカル列車ではない。これだ。予定していた、オーストリアに向かう列車だ。国際列車は、しばしば遅れると聞いたことがある。遅れて、停車しているのだ。
□列車はすぐそこなのに、踏切は閉まったままだ。通過するまで、閉めているようだ。ああと溜め息が出る。すると、彼は車から降り、私たちにも降りるよう合図した。彼は列車を指して、「ゴー」と叫んだ。踏切をくぐって、線路上を列車に走れと指示したのだ。
□私たちは躊躇しなかった。「関所」を破り、ザックを抱えたまま線路を走った。なんとか発車前、先頭のドアにたどりついた。息があがり、ドアの内側で二人とも坐りこんでしまった。列車は、すぐ出発した。
□しばらく坐りこんでいた。大変なことに気づいた。列車は、さっきの踏切を通過して、先へ向かう。踏切では、あの彼が、無事に乗れたか気にして見守っていただろう。窓から手を振って感謝を表現するのが、万国共通のニンゲンのすることだ。私たちは、なんと礼儀知らずだったろう。彼はいまごろ、隣の幼い息子に、無礼な東洋人カップルのことを愚痴っているかもしれない。
□湖の印象など飛んでしまって、唐突に不本意に、スロベニアの旅が終わった。手続きもなく、列車はどうやら国境を越えたようだが、私の動悸は一向に治まることがなかった。

 

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3.浅き夢見し

□ 韓流ブームの遙か以前、1ヶ月かけて韓国をぐるっと旅した。その最後がプサンだ。連絡船で下関に渡る。
□韓国では貴重なユースホステルが、プサンには有った。 最後になって、初めて日本人と同宿になった。それまで旅先で全く見かけなかったので、日本語で喋れる相手がいてくれて、楽になっていた。
□彼は「ジエータイ」を辞めたばかりで、旅は初めてとのことだ。韓国の言葉は一切読めず、喋れずで、街の食堂に入れきれないと言う。 確かにメニューはハングルで、 壁に高く貼られているから、 指で示すことも難しいだろう。 多少なりとも理解できている小生を、そのことだけで「尊敬します」とおだててくる。十歳以上、年下かも知れない。彼を連れて、街へ食いに歩いた。

□ 次の日、予定が空白になった。 あとは翌日の連絡船に乗るだけだ。そこで、行き当たりばったり、 バスで郊外に出てみることにした。 韓国全土を網羅した市外バス時刻表を調べてみる。この本は本当に重宝した。もちろんハングル表記だが、そのころは「自由に」読めるようになっていた。
□1時間ほどで行ける「ミリャン」と読める場所に決めた。 近くのターミナルから乗れるようだ。 と、そこで昨夜の彼が同行を申し込んできた。普段なら単独で行動するのだが、珍しく頼られているので承諾した。 ジエータイといっても、「元」なのだ。ま、いいか。 隊員であったなごりなど見られない。 さすがに長髪ではないが、すっかりアイドル風に変身している。気になるほどのこともない。この時代、イケメンなんて言葉もなかったし。

□ 町はずれに古い楼閣が残っていた。あとは予想通りの小さな田舎町だった。こういう雰囲気は嫌いではない。
□その全景を見下ろすのに格好の丘があり、 坂道を登っていくと、一番上は女子高校になっていた。 学校の敷地との境まで行き、おだやかな田園風景の広がりに見惚れていた。 先ほどの楼閣が小さく見えている。
□チャイムが鳴り、 少し離れた横のグランドから女生徒の一団が校舎に戻っていく。私たちの脇を通っていくとき、何人もが怪訝そうに見ているのが分かったが、こちらはつとめて平静を装っていた。
□いくつかのグループが過ぎたあと、 最後にジャージ姿の女教師がやってきた。韓国語で何か聞いてくる。 というより、尋問してくる。 不審人物発見ということだろう。
□この旅で、それまで何回尋問を受けてきただろう。「北」との緊張時代なので、 バスでも道でも、 警備兵と警官から絶えず身分を問われていた。ひとり旅の習慣がない国のようで、単身バックパッカーの私は目立つようだ。 パスポートを見せて、言葉が分からない振りをすれば解放してくれる。日本人旅行者が珍しい時代だったのだ。そういえば、安宿に着いて5分もしないうちに警官が来たこともある。 これは、宿の人間が通報したとしか考えられない。スパイ発見ともなれば、国家より巨額の報奨金が与えられるので無理もないか。いや、客に対し、さすがにこれは失礼と思う。
□閑話休題。女教師に対し、韓国語、英語、分からない部分は日本語も交えて、怪しいモノではないと熱弁をふるう。 校門の外にいるのだから構わないはずだ。隣の彼はといえば、もちろん無言で立ったままだ。
□そのおかしな言葉を操る奇妙な「外国人」に女生徒が興味を示した。何人もが戻ってくる。完全に囲まれてしまった。 ここは友好一番の見せ所。 いぶかしげな教師の視線から逃れるべく、若い彼女たちに韓国語で愛嬌を振りまいた。
□「コンニチハ。ハジメマシテ」
□その程度の会話力しかない。返事のかわりに、ドッと黄色い笑い声。冷ややかな笑いとは明らかに異なる。
□会話能力があるんだと大きな勘違いをされ、質問を始めてきた。 そこへ、年配の別の教師が駆けつけた。 事情を悟って、日本語で尋ねてくる。植民地時代に日本語を強制された世代だ。 こちらが話したことをみんなに通訳する。その教師が日本語を話せることに生徒たちは驚いている。 学んだはずの歴史的背景をその教師に繋げられなかったようだ。どうやら、危険人物でないことは証明された。最初の教師も笑っている。 やれやれだ。 ところが、今度は生徒たちから連続して、通訳を介しての質問攻めだ。
□「なぜ旅をしている」「兄弟なのか」に始まり、「仕事は」「結婚は」と身元調査になる。あげくは、「寒いか」「空腹か」まであった。 そして、こちらが真面目に答えるたびに、何がおかしいのかドッとくる。
□日本語になっているので、彼が参加してもいいはずなのだが、 萎縮したように黙っている。 みんなの視線や状況に、緊張しているのだろうか。
□「なにか感動したことは」と尋ねられ、全く芸のない答えなのだが、
□「女性がとても美しいのに感激した」と、やってしまった。 普通なら、さむ~くなる。 だが、受けた。 みんな顔を見合わせてキャッキャと笑い、収拾がつかないほどだ。ただ、それは本音だった。
□解放されたのは、 授業開始のチャイムが鳴ったときである。 手を振って別れることとなったが、 正面校舎の二階、窓という窓からも沢山の手が振られているのを認めたときは、冷や汗が出る思いだった。うろたえた。
□なにやらスター気分に目覚めて、丘を下りて行った。まだ後ろ姿も見られているのではないかと、無理に背筋を伸ばして歩いた。もう、おっさんに近いトシなのに、 異国の十六、七の娘たちに騒がれ、 浮かれてしまった。若く見せる帽子が正解だったのかなとニヤける。
□まてよ。彼の存在だ。昨今の芸人コンビでもよくある話だ。芸達者な相方ばかり目立つのに、立っているだけのイケメンくんが女性からの人気を博す。それでトータルして、コンビが騒がれる。これだ。このパターンだ。みんな、元隊員の彼のおかげだったのだ。女生徒は、イケメンの彼が目当てで騒いでいたのだ。こっちは、おこぼれにあずかっていたというわけだ。今にして、よ~く理解できる。世の中の仕組み、そうなっているのだ。

□ 気づくのに、年月を要した。 彼女たちも、今では韓国のアジュンマ、おばちゃんになっている。日本人も見慣れたことだろう。 日本のおばちゃんたちが美形の韓国人スターに夢中になったと同じで、彼女たちも美形の異国人を追っているかも知れない。 あのとき、美形の方だけに目がいっていた可能性は、とてつもなく大きい。小生の「熱弁」は少しも報われていなかったのか、もう確かめるすべはない。
□浅き夢見し。ツワモノどもが夢の跡。あ、これ、場違いになっている。孤軍奮闘。獅子奮迅。‥駄目だ。締めの言葉が浮かばない。
□さよなら韓国、またきて四国。おお、これ、これだ。どうにか最後に、ぴしっと決まったぜ! ん‥?

 

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4.ぼくたちの弁当会

□父の仕事の都合で、名古屋から大阪に転校した。まちなかではなく、郡部に属する村の学校だ。小学生の私は、なかなか同級生になじめなかった。
□全国的には給食が普及していたころだが、その学校では弁当持参だった。私も、母の作る弁当を持って出かけた。昼休みになると、自分の席で食べるのだ。
しばらくして、昼食時間になると、空席がいくつもできることに気づいた。この学校では、昼休みに自宅まで自由に帰ってもよかった。断りも必要ない。いまではあり得ないことだし、当時だって、一般的に認められてはいなかったろう。
□このシステムは、私にも便利だった。引っ越しを機会に、思い切って、家にテレビを入れていた。昼の放送を見たくて、私は家に戻っていた。走れば五分で着く。走ることが苦にならない年齢だった。
□学校では、欠席する生徒が多かった。登校拒否ではない。農繁期に、家の手伝いをするためだ。田畑に出る場合もあるし、炊事や子守で使われる場合もある。親が、子どもを学校に行かせないのだ。貧しい村だった。
□昼休みに帰宅するのは、家で昼飯を食べるためだった。学校側も、そうさせていた。学校に弁当を持って来れない事情があったのだ。家でなら、どんなものでも食えさえすればよい。同じものを弁当にして教室で開けば、周りと比較されてしまう。その惨めさを味わうことが避けられたのだ。弁当らしい弁当が用意できない、農村の貧しさがあった。
□会社から用意された社宅は、駅の近くにあった。小さな駅だが、父の通勤には便利だ。私の家族は、地域と交わることが少なかった。私も、同級生と親しく交わる機会がなかった。
□遠足の日が来た。さすがに、誰もが弁当持参だ。昼食時間になり、山の頂上広場で、それぞれに別れて食べることになった。私は、一緒に食べる友達がいなかった。途方に暮れていると、ほとんど喋ったことのない同級生から誘われた。いつも、昼になると家に帰っている生徒だ。声を掛けてもらって、ありがたかった。
□その弁当を食べる輪は、全員が、昼に帰っている生徒たちだった。女子も一緒だ。どうやら、その仲間として、私も誘われたようだった。楽しい食事の輪だった。
□いつの間にか、おかずの物々交換が始まった。私の弁当は、盛りだくさんにおかずがあり、人気があった。交換に貰うおかずは、私が知らない種類のもので、初めて口にするものが多かった。無理して、なんとか食べた野菜料理もあった。
女子生徒とも交換した。クラスでただひとり、私が意識している女子だった。弁当を近づけたとき、目と目が合った。普段は活発なのに、彼女は照れくさそうに笑っていた。私は、それ以上にどきどきしていた。
□みんなは、私を仲間と思っている。昼休み、校門を一斉に出ていくとき、同じ理由で帰宅していると思っている。笑顔で手を振って散っていき、一時間後に戻ってくる。その一時間、みんなと私は同じではなかったはずだ。気づくのが遅かった。
□私は秘密を抱えたまま、それからも同じ行動をした。校門を出るとき、あの女子生徒とは、特に大きく手を振って別れて行く。時間を調整して、彼女と同じタイミングで教室に戻れるようにもなった。遠足の弁当グループとは、みんな仲良くなった。
□みんなの秘密と私の秘密は、大きく違っていた。しかし、それを隠して、学校に順応していけた。遠足の弁当で食べたみんなのおかずは、人生で最高のご馳走だったのかも知れない。おいしかったように記憶が修正されていても、一向に構わない。
□その後、また転校することになったが、彼女ほど魅力があり、みんなほど親しめる生徒は、都会のどの学校にもいなかった。


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5.我が家のイノシシくん

 家の近くにイノシシが、よくやって来る。
 この手の話は盛られていることが多く、「よく」という曖昧な言葉は、受け取る側と発信する側で温度差がある。「外国人がよく訪ねてくるよ」と私が言うとき、それは年に一度あるかないかのことをいう。だが、このイノシシの件は、冬場の一時期は、ほぼ毎日毎晩のことだ。夏場でも、月に何度かの頻度だ。よく来る。
 「近く」というのも、道から見えたとか、藪で物音がしたということを盛っているわけではない。我が家の敷地や、駐めてある車の脇を闊歩しているのだ。窓のすぐ下まで来たこともある。
 毎年、連中は代替わりし、その年その年で、個体の性格が異なる。生態の違いというべきか。深夜にウロチョロするやつがいる。決まって明け方に見かける大物がいる。いつも二匹で行動する兄弟もいる。共通しているのは、我が家の周辺を散歩コースにし、庭も駐車スペースも、鼻で掘りまくることだ。
 我が家は、いわゆるポツンと一軒家。山から続く、緑の真っただ中にある。そこそこ広い敷地の周囲は、我が家で行き止まりになる細い道を除けば、全て雑木と藪でおおわれている。イノシシにとっては、山と里を結ぶ経由地になる。
 敷地に続く藪の中には、何本もの「ケモノミチ」ができている。勘違いされがちだが、雑草が生い茂る荒れた小径がケモノミチではない。イノシシの身長で、雑木雑草がくりぬかれたトンネルのミチだ。人が立ったままの位置では発見しにくいが、少し屈むと、見事な長いトンネルが見つかる。荒れているわけではない。整備された「獣道」だ。新旧合わせて、十本以上が我が家につながる。ロープや板で封鎖しても無駄で、すぐにバイパスが作られる。
 連中を見つけたら、追い払ってはいる。棒を持ち、近づきながら、「コラアッ!」と威嚇する。たいていは、慌てて逃げて行く。毎回、その繰り返しだ。「こらあ」以外に、脅す言葉が見つからない。「オイ」とか、「ダメ」とか、いかにも弱い。柿泥棒を見つけたシチュエーションでもそうだろうが、日本語では、「こらあ」としか叫ばないと思う。
 夏の夕暮れなどに、「うり坊」が単独で歩いているところを見かける。体に瓜のような縞模様が入った幼いイノシシだ。母親から少し離れてしまったようだ。そんな愛くるしい相手でも、見つけたら脅しはかける。数ヶ月で大きくなるので、幼少期にトラウマを与えておけば、独り立ちした折は、我が家を敬遠してくれるだろう。ただ、うり坊に向かっては、「コラアッ!」ではなく、「こら。」と優しくなってしまう。私は、そこまで非情なニンゲンではないのである。
 庭で野菜は栽培していない。我が家は、芭蕉布の工房を兼ねている。庭にあるのは、バナナの木と同類の糸芭蕉の木ばかりである。その木から繊維を採り出し、糸に撚り、布に織る。形態はバナナそっくりだが、実は小さく固く、人間にもイノシシにも、食用には決してならない。
 イノシシの目当ては作物ではなく、土そのものだ。被害ということでは、庭のいたるところが掘り返されることにつきる。身の危険を感じることは、ほとんどない。
 ただ、一度だけ怯んだことがある。夢中で穴を掘っている親子を見つけ、例のごとく「コラアッ!」と迫った。子ども三匹は、猛スピードでトンネルへ逃げ去ったが、母親が逃げてくれない。しばらくこちらを見て、私と対峙する形になった。動転した。想定外の事態で、次にとるべき動作が分からない。棒は下げたままだ。数秒して、ようやくママイノシシは向きを変え、ゆっくりと去って行った。去っていただいて、ほっとした。
 連中の穴掘りは、通説のようなミミズ捕りなどではなく、鼻を地面にこすりつけるのが快感なのだというのが私の見立てだ。そこにミミズはいないはずの固い土を好んで掘っている。そんな固い土地なら、奥に広がるやんばるの森のどこにでもあるだろうに。どうも、草刈りされた地面が楽に掘れて、お気に入りのようだ。私が苦労して草を刈った、そこそこ整っている庭を掘りに来る。わざわざ。
 駆除の対象になっているので、役場などに連絡すれば、退治してくれるかもしれない。罠が仕掛けられるだろう。ハンターが登場する可能性もある。
 穴ぼこだらけになるけれど、被害はそれだけだ。埋め直せば済む。埋めれば、すぐにまた掘り返されて、「いのししごっこ」になるが、寛容になっている。銃殺の協力なんてすることになったら、非情なニンゲンになってしまいそうだ。連絡は、していない。
 森へ戻りなさい。ここを掘っても、私の「コラアッ!」が待っているだけで、いいことはない。ここは、私のテリトリー。よそで暮らしなさい。森の中で心置きなく掘りなさい。うり坊たちにも、そう教えなさい。姿の見えないところで、互いに、ストレスなく生活しましょうや。ね、イノシシくん。

 

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6.わたしのオカリーナ

 オカリナをたしなんでいる。
 最初に、音域の高いソプラノ管と、低いアルト管を買った。高い低いの二本あれば、問題ないと思っていた。入門書でも、そう勧められていた。
 吹いてみると、どうも満足する音にならない。ソプラノ管はキンキンするし、アルト管はボーボーと頼りない音になる。メロディにはなるが、想像していたオカリナの心地よい音色には、ほど遠い。もちろん、下手くそだから、いい音が出ないのだが、そこは楽器のせいにしたかった。
 旧友の家を訪ねたとき、話の流れで、彼もオカリナを持っていることが分かった。誰かが持ち物を処分するときに、押しつけられたようだ。彼は演奏することに興味は薄く、楽譜も読めないので、ドレミファソラシドと吹けたところで、そのままになっているという。わたしが譲り受けることになった。
 音色が違った。やわらかく、やさしく、イメージしていたオカリナの音だった。ソプラノとアルトの中間の音域で、F管という。楽器店で購入すれば、それなりの値段がするだろう。少し剥げた淡い水色が、いい味を出していた。
 それからは、熱心に練習するようになった。手に馴染む。十本の指が、なめらかに動く。吹いていると、音と同じように、わたしの気持ちも柔らかく、優しくなっていく。手放せなくなった。
 旅先にもF管を持っていく。割れ物なので、ハードケースに入れている。プラスチック製のオカリナも持ってはいるが、割れないという点だけがすぐれていて、音は悪い。気持ちも優しくなれない。取り扱いが慎重になるが、やはり陶器製のオカリナがいい。
 長距離フェリーの甲板で吹くこともある。人が少ない夜間に、奥まった場所で吹いているのだが、「お上手ですね」「素敵な音色ですね」などと、声を掛けられることを期待している。しかしながら、よこしまな期待は、いつも裏切られる。
 一度だけ、近づいた女性から声を掛けられたが、「なんの音かと思って」ということだった。音楽ではなく、音としてしか認識されていなかった。
 レンタカーで、人里離れた場所に車中泊することも多い。そこで吹いていると、キタキツネが寄ってきたこともある。食料ほしさだということは分かっている。それでも聴衆がいれば、余計に張り切れる。キツネも坐って、じっくり聴き惚れているように見える。
 楽譜を持っていかないので、覚えているひと通りのレパートリーを終えるのに、時間は掛からない。そんなときは曲を作る。作曲ということだ。浮かんだメロディは、ミソー・ミソラドラーといった具合に、片仮名で走り書きしておく。旅から帰って、五線紙に清書する。車で一泊すれば、なんとか一曲仕上げてしまう。結構な趣味でござる。
 普通「オカリナ」と呼ばれ、会話のなかでは、わたしもオカリナと呼んで相手に合わせている。しかし、本当は「オカリーナ」と呼びたい。響きがいい。発祥の地イタリアでは、オカリーナと呼ぶらしい。
 最近、俳句も始めた。「オカリーナ」と五音なので、俳句の上五や下五にぴったりで、詠みやすい。「オカリナや」と詠嘆するより、「オカリーナ」と言い切るほうがスタイリッシュに思える。
 そして、ここが大事なのだが、素人や超初心者に対し、「オカリーナ」の響きは、ちょっとしたコケオドシのワードになる。演奏するにあたって、ただ者ではない雰囲気を醸し出せるに違いない。
 そんなわけで、わたしの認識では、この大切なF管は「オカリーナ」なのである。

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7.娘と孫と「おおきなかぶ」

□娘が幼いころ、寝る前には毎日、絵本の読み聞かせをしていた。妻の読み方は抑揚がなく、たんたんと読んでしまうので、幼児には刺激不足のようだ。ここは、芝居っけたっぷりに読むのがいい。そういう習性の私がふさわしい。
□小学生のころは、学芸会の芝居の主役をしていた私だ。登場人物、登場動物になりきって、大袈裟にセリフを読んでいた。眠りにみちびくという大前提を忘れて、娘を興奮させていた。
□娘の最初のお気に入りは、ロシア民話の「おおきなかぶ」だった。畑の土から大きなかぶを引き抜く。それだけの話だ。おじいさんひとりではとても無理な、超特大のかぶだった。つぎつぎに助太刀を呼ぶ。おばあさんが後ろにまわって、二人で引いても駄目だった。孫も加わり、さらにイヌ、ネコ、最後にはネズミまで加勢にまわると、ようやく抜けるという、幼児向けの代表的な絵本だ。
□「うんとこしょ」「どっこいしょ」の掛け声は、それぞれに成りきって読むので、ひとりで六役も使い分ける声優気分だ。本に書かれていないセリフも、勝手に足している。加勢するメンバーも、娘の友達や保育士さん、妻と私、最後の最後に娘自身も登場させてしまう。メンバーの数が絵と合わないが、そこはムニャムニャっとごまかしていた。
□夢中になって、絵本の世界に入ってくれた。何度も何度も読まされた。そんな娘だったが、成長してくると、私の語りと絵が違っていることを指摘するようになった。だんだん、この話の食いつきが悪くなった。
□さらに成長して、平仮名が少し読めるようになってくると、本に書かれた文字と私の語りの矛盾を突いてくる。字数に比べ、私の口から出るセリフが多すぎることにも気づかれた。ほかにも絵本はたくさんある。もう少し複雑なストーリーを好むようになった。自分で本を選ぶようになっている。「おおきなかぶ」の役目が終わった。全く読まなくなってしまった。

□およそ三十年が過ぎ、押入に積まれた段ボールから探し出されて、「おおきなかぶ」が復活した。
□縁あって、娘は山形で新生活を始めていた。子どもが生まれ、正月には家族で、沖縄の我が家に帰ってくるのが習慣になった。私たちの初孫である。そこで、絵本の読み聞かせを頼まれた。「じいじ」の出番である。カラオケと同じように、勝負絵本がある。十八番は「おおきなかぶ」ということになる。
□当然、登場人物は孫娘に合わせている。我が家の番犬が加わった。私たち「じいじ」「ばあば」は、最初から絵本に登場している。顔立ちと体型がロシア人らしく描かれているが、孫から異議は出ない。
□「うんとこしょ、どっこいしょ」と、普段でも言っていることをセリフにする。かぶを引っ張る列の最後尾は、孫娘につとめさせる。私と孫と一緒になって、「うんとこしょ、どっこいしょ」と声を合わせ、「抜けたあ」と大喜びするのだ。
□子育て経験は身に染みついていたようで、あのころの読み聞かせテクニックは衰えていなかった。隣の部屋では、娘夫婦と妻が笑っている。久しぶりに会って少し距離のあった孫とも、急接近できるようになった。なんともありがたい絵本だ。
□半年後か、一年後か、次に孫が来たときは、「おおきなかぶ」のポジションも変わっているだろう。それが成長で、通過してしまえば、その絵本は完全に忘れられてしまう。
□しかし、そこはロシアを代表する古典絵本だ。孫の下に弟か妹ができたとき、また威力を発揮するだろう。もちろん、私というエンターテイナーを通してだ。芸を極めていく。絵本は、読み手を選ぶのだ。
□さらに、もう一世代つぎの曾孫まで大丈夫だろうか。本の心配というより、私が元気で生きているかどうかという種類の「大丈夫」だ。

□明日、孫が山形へ帰るという日、いつも以上に登場人物、登場動物を加えて、大サービスをした。縫いぐるみのキリンやら、ほかの絵本の子どもやらも加勢させ、どんどん喋って、できるだけ話を長引かせていた。
□みんなが帰ったあと、おもちゃと絵本を段ボールにまとめた。「おおきなかぶ」を一番上に置き、ガムテープで閉じた。「うんとこしょ」、「どっこいしょ」と声に出して、押入の上の段に押し込む。セリフのときと違って、元気のない、弱々しい老人の声だった。


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8.製糖の季節

□彼女の沖縄の実家へ挨拶に行った。四十年近くも前の話だ。実家は兼業農家で、ちょうどサトウキビの収穫期だった。頼まれたわけでもないのに志願して、一日手伝った。
□想像を超える重労働だった。手斧で倒し、荒縄で結い、肩に担いで道まで運ぶ。還暦近い彼女の両親が楽にこなしているのに、私は休みがちだった。軟弱な都会人であることを認識させられた。しかし、苦痛ではなかった。空と海に囲まれた畑で、みんな笑いながら作業をしている。土の感触が新鮮だった。
□肩や手の平を擦りむけながら、なんとか一日を終えた。車を借りて、彼女と買い物に出かけた。沖縄は、まだ右側通行だった。街に出る途中、「ぷう~ん」と表現したくなるような「甘い」香りがただよった。製糖工場の黒糖を作る匂いだという。この時期、二十四時間フル稼働しているらしい。テレビやガイドブックでは分からない、沖縄らしい体験をしているなあと感慨にふけっていた。
□彼女は助手席の窓を閉め、私の窓も閉めさせた。その香りが好きではないと言うのだ。小さいときから、いつも嫌いだったと言う。楽しくない記憶に繋がっているのかも知れない。くせのある匂いで、好き嫌いが別れる。
□実家に戻ると、宴会が始まっていた。初めて泡盛を飲まされ、酔いがまわった。社交辞令なのは分かるが、よく頑張ったと誉められた。調子に乗ってしまった。こっちの畑でずっと働いたらの提案に、「はい」と強く返事したのだ。無責任な決意表明である。
□半年後、東京から移住し、彼女と所帯を持ち、サトウキビ農家の見習いになっていた。しばらくすれば農作業に順応し、きつさにも慣れ、ときどき呆ける日も出てくる。
□次の収穫期、工場近くを車で通ると、「ぷう~ん」とあの香りが入ってきた。あの日の光景、あの日の決意が浮かんできて、シャキッとなった。私のサトウキビが香っている。ひとりだったので、もちろん、窓は全開にした。


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9.キビ畑 テント保育園

□ 大宜味に移って、その翌年の話になる。

□ 娘がようやく保育園に慣れたというのに、 一ヶ月休ませることになった。 前年まで住んでいた具志川の「小屋」がそのまま使え、家族で泊まり込んで、実家のサトウキビを収穫することになったからだ。 妻の実家では、毎年、トラック五台分ほどのキビが出されていた。
□沖縄でウージトーシ(キビ倒し)は、冬場に行われる。それまでも手伝ってはいたが、この年は事情があって、 全部を自分たちで仕切ることになった。
□キビ刈りは忙しい。製糖工場へ運ぶトラックが来て、指定された日に、一台分約七トンのキビを出す。そのスケジュールに合わせるため、通常は助っ人を頼み、五、六人で一気にかかる。だが、私たちは二人だけでやることにした。経費を切り詰めたのだ。 正確に言えば、費用を捻出できなかった。

□さて、問題は娘の保育だ。 預ける場所も見つからず、まあいいかと、畑に同行させるよう決めた。 片隅に一人で過ごしてもらう。
□キビ畑の中はジャングル状態だ。 三メートル以上にもなるサトウキビが台風の影響を受け、曲がりに曲がって密集している。 一メートルの距離だって、まっすぐ歩けない。 「ざわわ、ざわわ」なんて、 悠長に歌う気分ではない。
□勝手に遊ばせたら、迷って出られなくなる。雨だって降るだろう。昼寝の場所も必要だ。それらの難問解決に、テントを使うことにした。小型の旧式テントで、一度だけ家族キャンプを楽しんだことがある。それを畑に置いて、保育園にしようというのだ。

□ さあ、初日。 娘は不安もなく、遠足気分だ。もちろん、弁当、おやつ、水筒も準備した。 寝袋を敷いたテントに、お気に入りグッズを段ボール一箱分持ちこむ。 人形たちに、友だち役を務めてもらおう。
□保育園に通い出して、絵本を読んでもらうことが好きになっていた。そこで持ちこんだ最終兵器がテープレコーダーだ。父親特製のオリジナルテープが付いている。絵本の文章を録音しておいて、娘が一人で楽しめるよう工夫したのだ。
□テープは朗読だけでなく、ページをめくるようにとの指示も入れる。厭きないよう、たっぷり感情移入して読んだ。 この作業には照れた。途中からは娘と一緒に、笑い声や会話も混ぜたライブ版として、 何度も録音を重ねて完成させた。準備万端、抜かりはない。

□ こうして、テント保育が始まった。 意外にもすんなり溶けこんで、娘は新しい「保育園」を気にいってくれた。さびしがることや、退屈する様子もない。 自分だけの時間と空間を楽しんでいた。 独立した「新居」が手に入ったのだ。
□ひとりっ子なので、 自宅ではいつも、両親のどちらかが相手をしていた。 親の方がべったりしていたのかもしれない。 ひとりで遊ぶ姿を見るのは新鮮だった。「自立」なんて大げさな言葉まで浮かんでくる。
□雨にも負けず、風にも負けずのテント保育だった。 気になって、水分補給などを名目に、母親と父親で交互にテントを覗きに行く。しかし、娘は自分の世界に没頭していて、何も心配することはなかった。
□目覚まし時計が鳴ると休憩時間だ。お茶にするよう、娘が知らせに来る。おやつが並べられ、アニメのキャラクターが描かれたコップ三つに、冷たいお茶がぎりぎりまで注がれている。毎日がピクニック気分だろう。キビが倒され、畑が開いてくると、風が吹き抜けて爽快だった。

□ 作業はきつい。 キビを倒し、葉を落とす。 縄で結わき、道まで運び、積み重ねる。しかし、私たちも気分良く働けた。 束ねたキビを肩にかつぎ、テントの前を通る。テープの声が聞こえてくる。私の声だ。過剰な表現で、とても他人には聞かせられない。つい足早になる。 救いは、娘の笑い声だ。厭きることもなく、同じところでケタケタ笑ってくれる。 静かなときは、お昼寝タイムと決まっている。
□畑がほとんど開いたころには、娘も仕事を手伝おうとしていた。本人としては、戦力になっているつもりだ。こぼれ落ちたサトウキビの小さな一本を、わざわざ肩にかついで運んで行く。 親を真似て、タオルを首に巻きつけてもいる。

□ 今はサトウキビとも離れて生活し、娘も大きくなった。あのテープは、机の奥にしまわれたままだ。 恥ずかしくて、 もう聴くこともないのだが、処分もできない。 これも成長の記念になるだろう。娘にとっても、私にとっても、だ。
□残しても邪魔になるものではない。 ふふふ。いつの日か、そのときが来れば、あのテープを娘の「嫁入り道具」に忍ばせてやろうだなんて、と~んでもない無茶を考えはじめている。


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10. 山の中の電照菊 (TEPCOあなたのエッセイ最優秀賞 週刊現代)

□友人夫婦が、菊栽培をしていくことで、再出発することになった。それぞれ職場を辞めてのことだ。経験不足を努力で補うという。
□ここ沖縄北部は通称山原(やんばる)と言われるように、山が海まで迫る。平地はわずかで、余分な土地はない。山を切り開いて畑にしていくしかない。友人は張り切って、最初の年からかなりの規模で始めることになった。夜間、裸電球をこうこうと照らすことにより開花の調整を行なう電照菊だ。設備を整えるのに、かなりの借金をした様子だった。
□果たして、出荷まですんなりいけるのだろうか。心配しているのはこっちだけで、当人たちは確信があるのか、楽観的だった。
□もともとが斜面のきつい山の森林。そこを無理に平たくしているわけで、広いことは確かなのだが、見渡す限りの大農場といったイメージからはほど遠い。起伏や樹木が、あちこち無秩序に残されたままだ。畑をくまなく案内されてはみたものの、その全体像をつかむことができない。複雑に入りくんでいて、どこからも一部しか見えないのだ。
□あるとき突然、その不規則な畑全体の姿を見ることができた。空高く、夜の闇を通してのことだ。幻想的に光り輝いていた。
□そう、本土からの飛行機最終便の窓から眺めたものだ。山原では海岸の道沿いにのみ僅かな光の列があるので、夜間の機上からであっても地図の輪郭が分かる。そこに突然、光の離れ島だ。真っ暗な山中に、そこだけ都会のようなまばゆい光。彼らの畑に違いない。あの二人が胸張って存在をアピールしているかのような、無数とも思える光の群れ。
□どっこい、天の神様には、いつも見えていたってわけだ。地上からは分かりにくかった彼らの努力だが、空の上からは、こんなにもはっきりと成果が見えるのだ。電気の威力に改めて驚かされる。
□あいつら、大丈夫。成功するさ。気分まで明るくさせる、頼もしい光の群れだった。


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11. 夢の嘘

 ・春浅し 拳の中は 夢の嘘

 ・記憶すら やさしく飾られ 雨三月

 ・老犬と 見る眉月や 寒明ける

 ・おぼろ月 海いつになく満ちており

 ・人妻も やがてささやく夜半(よわ)の春

 ・春雷や 爪で誤魔化す疵の痕

 ・風眩し 魚影横切る人造湖

 ・さよならと 黄砂の港 君は発ち

 ・見栄さえも 残せず割れたシャボン玉

 ・穏やかに 酒に抱かれて 春深む

 ・あきらめを 諭していまの 夏来たる

 ・薫風や 笑顔似せたる少女たち

 ・打ち水や おとなへ向かう下駄の音

 ・夏空を 讃えて軋む観覧車

 ・汗を拭く 女の肩に見るほくろ

 ・痩せぎすの 女の日傘 遠ざかり

 ・夕凪の 東シナ海 刳舟(サバニ)行く

 ・夕映えに 我等の沈黙 染まりつつ

 ・星涼し 解かれた腕が北を指す

 ・嘲りの 声も消されて蝉時雨

 ・遠花火 夢の時空もジ・エンド



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12. 雪しまく


・恐縮の 足跡残す 雪の朝

・雪晴れや 学生と乗る 無人駅

・ひねくれて 午後には地吹雪の予感

・足跡を 健気に埋めて 雪しまく


・けっこうな 八坂の塔に 月冴ゆる

・坂の雪 やんちゃ娘を 僧が抜く

・これよりは 鞍馬につづく 雪の径

・積む雪に 躊躇してみる 鞍馬寺


・雪まじり 急ぐ小さな 赤い傘

・雪の寺 耳を温(あった)む 缶コーヒー

・空き缶を さてどうするか 雪こんこ

・掌(て)の雪が 解けきるまでの 摩訶般若


・始発待つ 父とわたしの 白い息

・百歳の 義母が指さす 冬銀河

・雪明かり 君が初めて 泣いている

・夜汽車待つ 駅舎の隅で 咳止まず


・朝霧や わたしひとりの 寝台車

・廃線の 駅舎で見やる 驟雨(しゅうう)かな

・汗を拭く 女の肩に 見るほくろ

・打ち水や おとなへ向かう 下駄の音


・いますこし 旅の火照(ほて)りの さめるまで

・酩酊の 空には北斗 あとは闇


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13. さみだるる


・日に焼けた 八つの肩が 笑う坂

・パラソルを 閉じて見返る 坂の古都

・風青し うなじの黒子(ほくろ) 見え隠れ

・迷い坂 盆地の縁(へり)に 西日さす


・ハングルの 君の名読めて 梅雨に入る

・飛び石を 素足で渉る 女学生

・炎天や 小路(こうじ)の奥は 水子地蔵

・熱帯夜 呪いの絵馬の 鳴りが止む


・石段の 数だけ禊(みそ)ぐ 業(ごう)の汗

・嵐電(らんでん)の 窓いっぱいに 夕立雲(ゆだちぐも)

・鐘楼で 落ち合えぬまま 驟雨(しゅうう)来る

・真っ直ぐに生きる女と呑む冷酒


・片かげり 煉瓦倉庫の あっけらかん

・湿原に ぼちぼち着いて 大夕焼(おおゆやけ)

・海霧(ガス)深し このバス停で 降ろされる

・少年の 夢は潰(つい)えて 雲の峰


・愚かにも 胸騒ぎする 南風(はえ)の夜

・ようようの 決意を挫(くじ)く 大雷雨

・太宰忌や 裏目ばかりが 出る手はず


・夏浅し 自転車を押す 沈み橋

・吉野川 越えて五月雨(さみだ)る 遍路みち

・星涼し 旅の最後は 馬鹿笑い


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14. 山眠る


・やわらかな 下駄の音して 今朝の冬

・番傘を 粋に回すや 初しぐれ

・神籤(みくじ)売る 巫女の襟元 かぜ冴ゆる

・稜線を 仰ぐあなたへ 寒三日月


・寒晴れや 漁村に小(ち)さき 天主堂

・日向ぼこ どなたが隠れ切支丹

・冬枯れの 棚田の畦で 祈る姉

・忍ばせたクルス 氷雨の村を出る


・賽銭を 切り詰めてなお 冬遍路

・水っ洟(みずっぱな) 遍路を拒む 土佐のみち

・初霜や 蝋燭のない 大師堂

・甘酒が 五臓六腑に いい感じ


・トンネルを 越えてもやはり 枯野原

・雪催(ゆきもよ)い 女の訛り 聞き取れず

・廃線の 赤い駅舎に 雪ちらちら

・行商の 背負子(しょいこ)下ろして 冬の色


・つぎつぎに 舞い落ちる雪 つぎつぎと

・子どもらは さらりと帰り 山眠る

・わけはなく 雪の溜まりを 蹴っ飛ばす

・凍空(いてぞら)や 約束までに あと五時間


・冬なかば しばし落ち着く 海と陸

・ここからは わたしの夢と 冬銀河

・かちかちの 意固地を解かし 暖炉燃ゆ

・命の火 ときおり燃えて 冬深む

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15. さむげたん


・新涼や 悪い噂の 女学生

・《少年》を 五線紙に採る 風の秋

・台風は 大陸に抜け どぶさらう

・裏門へ ひとり遅れて 夜學生

・霧雨や 旅の気分で 空見上ぐ


・月明かり 粋なおんなの 鎖骨かな

・善き人と 思われている 月の宴

・仇敵の 名が出てこない 雨の月

・ときどきは 愉快になれる 今年酒

・埋立地 予想どおりに 星流る


・秋霖や 同意しかねる 妥協案

・驚愕の 事実出てこい 夜半の秋

・裏切りを いまごろ知って 虫時雨

・長き夜 テープの経は 父の声

・秋更くる 化粧を落とす 妻と嫁


・野路の秋 イムジン河は あっけらかん

・対岸の 北朝鮮も 秋の色

・山腹の 草の廃寺に 赤とんぼ

・コスモスや 古陵に石の 武人立つ

・秋冷や このハングルが 参鶏湯(サムゲタン)


・キュロロロと 啼く鳥が去り 肌寒し

・山澄むや どこかの犬に 懐かれて

・雨風に 耐えてよくまあ 破芭蕉(やればしょう)

・猪道(ししみち)の 奥の奥には もしかして

・秋の翳(かげ) 最下位決まる オリオンズ


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16.大静寂


・小春日和 ほんに真顔な 猫が棲む

・燗酒や ひとりで笑う 誕生日

・冬浅し 至極無心で 旅に発つ


・初あられ 坂を詰めたり 志明院

・冬晴るる 【女】のいない 三千院

・寒月や 京都盆地の 大静寂


・平然と 僧が転げる みぞれ坂

・枯野行く 真実までは まだ少し

・寒の雨 おんな酔わせて みたいもの


・冬木立 歌の途中で 駅に出る

・行商の おばちゃんたちの 白い息

・乗客は ほかに咳き込む 女だけ


・雪暗れや 引き返せない 汽車に乗る

・駅前を 過ぎればあとは 雪明かり

・謹んで 君に捧げる 寒椿


・小刻みな 踏み跡たどる 雪の宿

・露天の湯 誰と眺むる 寒すばる

・明日もまた 冬枯れ色の 旅日記


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17. 炭鉱住宅


・対岸の パラソル映す 池の青

・振り向けば 坂の紫陽花 まちの雨

・白南風(しろはえ)や 今年はバスで行く蕎麦屋

・惑星の ことさら赤く 梅雨明ける


・新緑や 律儀に停まる 無人駅

・夏帽子 海辺の駅の 女学生

・薫風や 無言で過ごす 秘境駅

・半夏雨(はんげあめ) 古い駅舎の 長ベンチ


・廃線の 鉄路の錆びへ 大夕立(おおゆだち)

・廃駅の 改札口に 君影草(きみかげそう)

・廃屋の 空っぽの額 もどり梅雨

・夏草に 抗する炭鉱(やま)の 映画館


・炭住の ガラス窓打つ 驟雨(しゅうう)かな

・あっさりと 通り抜けする 夏木立

・雪渓や ミラーはみ出す 羊蹄山

・夕凪に 海猫(ゴメ)は動かず 北運河


・炎昼や 路面電車の 老夫婦

・遮断機の ない踏切の カンカン帽

・電停の モダンボーイは ハットに蛾

・終点の 駅舎に黒の 扇風機


・梅雨月夜 ラオスの竹の 笛を出す

・泡盛を 名水で割る 桜桃忌

・泥酔で 叔父の死を知る 熱帯夜

・樹木葬 きのうと同じ 西日さす


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18. からげんき


・愚痴ひとつ 溜め息ひとつ 今朝の冬

・靴紐を 結びなおして 冬に入る

・小春日や 下駄で横切る 運動場

・老犬と ぼちぼち進む 冬の畦(あぜ)

・日向ぼこ 深い呼吸の 季節工

・七七日(なななぬか) 姪が教える オリオン座

・愛犬が 消えて二日目 冬ざるる

・帳尻を 無理に合わせて 除夜の鐘

・入院や 優しい嘘が 沁む一月

・看護師を 騙す寒夜の 空元気いい

・底冷えの 屋上ぐるり 鉄格子

・堪え忍ぶ おんなの嘘や 冬の雨

・妥協案 ようよう決まり 寒昴(かんすばる)

・若造に 教えた道は 枯野原

・月冴ゆる こんなところに 木のベンチ

・寒月や 足音の止む 跨線橋

・寒晴や ホームの端で 仰ぐ富士

・風冴ゆる 連絡船を 待つ波止場

・風花(かざはな)や 少女の歌う キャンディーズ

・崖の道 おいでおいでと 雪女郎

・ホームまで 三段残す 雪やどり

・ペテン師が 蜜柑を配る 夜の汽車

・雪の宿 俺達っていま 演歌だぜ

・雪しんしん それぞれ黙る 露天の湯


・春隣り 富士が望める 坂のカフェ


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19. 死んだふり


・四匹の 仔猫で祝う 旧正月

・春寒(はるさむ)や どうにも解けぬ 因数分解

・少年の 水切る石や 春夕焼(はるゆやけ)

・飼い猫を みんな抱き寄せ 春銀河


・あたたかや 脱水ゆるい 洗濯機

・保育士の 声やわらかく 春の色

・立ち漕ぎで 春の風切る 十二歳

・独りきり 堂堂として 春深む


・物憂げな 夫人を探す 春の航

・急かされて 船を下りても 長閑(のどか)なり

・道連れは 十九のおぼこ 春の雲

・突風や バス待つそばで 猫さかる


・風光る 二時間待ちの 上り線

・車窓より 沖の小舟へ 春の息

・霊山の 里は無言の 花吹雪

・早足の 僧の舌打ち 花菜雨


・養花天(ようかてん) きどあいらくの 落ちこぼれ

・春日遅々(しゅんじつちち) どう繕っても 絵空事


・いま少し 死んだふりする 遍路宿



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20. 此処(ここ)

・大陸の 風を宿して 禄剛崎(ろっこうざき)

・不意にくる 記憶の隅の 観覧車

・見つめ合う 母の祈りと 子の願い

・夜桜や 風酔ふ街の まよひ道

・なにもかも 許され春は 暮れてゆく

・月曜日 ただ雲だけを 追っている

・芭蕉布を 晒(さら)せば遠く 軍用機

・君の手が 銀河をたどり 弧を描く

・一度だけ 角力(すもう)勝たせて 父は逝き

・父の見た 南十字や 風の秋

・憎しみを 全ては消せず 二十日月(はつかづき)

・アダン葉の 浜で隣家の犬つるむ

・天と地と グーチョキパーで 此処に在り

・ラムネ玉 チリンと鳴らし 旅終える


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21. 飄々と


・春さむし 旅立つ君へ 朝の月

・ぼたもちを 半分残す 宵の春

・悪友の 死を知らされて 花の雨


・南風や 守禮之門の 影またぐ

・日に焼けた 少女ら去って 石のみち

・泡盛を 呑ませる店の この泡盛


・朝霧や 墨絵となりし 修行僧

・托鉢の 雲水ちらと 薄もみじ

・ひるむほど 妬ましいほど 水澄めり


・飄々(ひょうひょう)と 北端目指す サイクリスト

・逆光を 遍路が続く 沈下橋(ちんかばし)

・寝そべれば 聖地巡礼 日本晴れ


・あっさりと 降りる君との 観覧車

・ゆうべから 思い出せない 女の名

・なんとなく 午前三時の 月の宴


・相傘や ささやくような 小夜時雨(さよしぐれ)

・飛び石で 渉る川面に 神楽の音(ね)

・寒月が おんなを照らす 水照らす


・天晴れな 嘘で固めて 年暮るる


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22. 風の宿り (平成万葉千人一首)

大陸からの冷たい風が、
禄剛崎(ろっこうざき)を宿りとし、
能登半島を越えていく。

岬に続く径は、
わずかな緑と小さな村を縫い、
鈍色(にびいろ)の空に混ざっていた。

頬被りした女たちが輪を作り、
口々に空模様を嘆いたあと、
南の島へ行こうと盛り上がる。

漁に出なくなった男たちは、
それはもう所在なさげに、
煙草をふかすのだった。

頬を赤くした子供たちが、
おかまいなしに走り回ったあと、
風がまた強くなった。

もう若くはない旅人が、
色褪せたザックを背負い、
目を落としたまま過ぎて行く。

この男もやはりそうだ、
昨日の旅人と同じように、
身構えて怯えを隠している。

何かを求めているだとか、
何も求めていないとか、
もう気取るのはやめにしよう。

間垣(まがき)に囲まれた村を抜ければ、
日本海はひたすら大きく、
波の花が大袈裟に舞う。

径の向こうから小さく、
同じようなザックを背負って、
痩せた女がやってきた。

ありきたりな昔があって、
貧しい別れを重ねてきても、
粋がる素振りは捨てられない。

擦れ違う女と言葉も交さず、
振り返ることも面倒で、
男はただ歩みを進めるのだった。

海が唸るせいなのか、
勇気という古臭い言葉を、
思い出しそうになり苦笑した。

どれほど歩けばいいのか、
旅人は溜め息をつくことも忘れ、
小刻みに震えはじめた。

大陸の風が、
海突く岬を宿りとし、
能登半島を越えていく。

旅人は、
まだ休めない。


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23. ―藁のぬくもり―

 《平原暮色》

大地は確かに息づき
空翔ける風は麦の薫りを運ぶ
雨あがりの森の中 ケモノが二匹駆けぬける
から松の林の下には 若い夫婦と子どもたち
平原暮れなずみ 旅人ひとり酒

大地は確かに息づき
緑なす初夏の丘辺 羊飼いの声
ささやく夜が近づいて ケモノが二匹吠えている
紅に染まる西を見る 若い夫婦と子どもたち
平原暮れなずみ 旅人ひとり酒

大地は確かに息づき
霞たつ道は遙か異国へ続く
葦ざわめく川の岸 ケモノが二匹疵いやす
茅葺きの小さな家には 若い夫婦と子どもたち
平原暮れなずみ 旅人ひとり酒

  《芭蕉の里》

やんばる 潮風 せみしぐれ
岬につづく白いみち
フクギ並木の淡い影のなか
小さな村のどこかで
だれが織るのか 芭蕉布
けだるさ残し ときが過ぎていく
みちには幼いいたみがある
葉ずれの音 芭蕉の里

岬の小径も夕暮れて
ひとりで飾る花化粧
指切りしたは十五の春よ
ボーっと汽笛鳴らして
行く船 来る船 帰る船
散らせた花に そっと目をとじた
誰にも言えない想いもある
風やさしく 芭蕉の里

くちびるかみしめ 陽が落ちて
あの日と同じあかね雲
サバニにのせた 過ぎし日の夏よ
とおく見てる娘の
焼けた素肌まぶしく
若者がひとり ふる里へ向かう
夏にはふたりの願いがある
月あかりの芭蕉の里

 《川向こう》

川が 濁った川が流れ
向こうに 川の向こうに部落がある
風が 乾いた風が吹いて
火が投げられ 炎がなめる

家が 貧しい家が燃えて
つぎつぎ 家がつぎつぎ焼け落ちていく
岸で こちらの岸で人が
大勢寄って 指差し嗤う

母が 気高き母が死んだ
呪いの 母の呪いの声が響く
遠い 遙かに遠い国へ
想いを馳せて 死びと生きびと

街を 飾った街を壊し
あふれて 街にあふれて奪いつくせ
遠い 遙かに遠い国へ
想いを馳せて 死びと生きびと
想いを馳せて 死びと生きびと

 《わたしのふるさと》

ざざざん ざぶるん なんでしょう
大きな波が 押しよせて
砂山くずし わたしの足あと消した
ひゅるるん ひゅるん なんでしょう
峠をこえて 風が吹き
誰も知らない 白い花ゆらす
 だれかを呼ぶ声 聞こえてくるよ
 夕焼け空 あかね雲

からろん ころろん なんでしょう
そろいの帯に 下駄はいて
ならんで歩く 母さま姉さまわたし
ちりりん りりん なんでしょう
兄さまたちが 自転車で
わたしの好きな 白い花くれた
 祭りの太鼓が 聞こえてくるよ
 いちばん星 西の空


‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

24. 風来


猿払(さるふつ)の 粉糠雨(こぬかあめ)降る月曜日
海は色失(う)し 道はひとすじ

青年の 見つめし山もつつまれて
朔北(さくほく)の野に 降りやまぬ雨

勇払(ゆうふつ)の 野に埋(うず)もれし呪詛の声
はまなすの棘(とげ) 静かに握る

野の仏 語れよ困民の自由自治
風翔(か)けぬけて 秩父路は秋

遙かなる 屍(しかばね)たちの峠より
見よ 叛逆の八車線道路

柔らかな沈黙に村 覆(おお)われて
駆けぬけし我が 夏は終わりぬ

見下ろせば 村の祭りは今たけなわ
伝説の巨人 密(ひそ)やかに復活

特別な日と いうわけでなし 今日も
午後五時 船は釜山へ向かう

頬(ほほ)流るる 異国の雨を慈しむ
ひれ伏したきほど 君等の大地

乱れ咲くコスモスの中 わが汽車は
やさしさ残して 今折り返す

さよならと夕暮れの港 君は発つ
語ることなかれ 我等の悪戯(いたずら)

いつになく 華やぐ街の交差点
酔えよ 冷たき銃の感触

旅ゆえに ここぞとばかり星は降り
乙女ほろ酔うて しばし囁(ささや)く

満天の沈黙 君よ見つめたまえ
せめて今宵(こよい)は 追想の宴


‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥


25. ねえ女将さん


雪ちらほら なんちゃら小路(こうじ)の 赤提灯
だれかに惚れたい ねえ女将さん

器量よし 気立てもよくて 才長(た)けて
演歌のような 目の前のひと

行きずりの 旅の酒場で くだ巻いて
誰かに殴られ 何かを殴り

色褪せた マリア観音 凛と立つ
背筋伸ばした 老婦が祈る

山腹の 小径を折れた 大岩に
二人で唱う 誓いのオラショ

真っ黒な 壁には黒い 手形つけ
真っ赤な池には 薄紅(うすべに)の唾

下衆(げす)どもの 勘繰りそこに とどまらず
善人たちの 故郷を払う

たまゆらの 恍惚の果て 国を去る
目覚めて此処は 韃靼海峡

遠くから なにやら君は 問いかける
わたしは君の 存在を消す

2番線 貨物列車の 通過待ち
決心鈍らす レールの軋み

この駅を 過ぎれば大きく カーブする
遠心力よ わたしを落とせ

真面目には やはりなれずに どんぶらこ
疵を誤魔化し はあ五十年

仄暗(ほのぐら)い 秘密に満ちた 大広間
今宵わたしと ワルツはいかが

声明(しょうみょう)の 響く夜明けの 霊山に
数珠を爪繰(つまぐ)る 青の麗人

朝霧に 包まれ謎の 貴婦人は
杉の木立へ 御身(おんみ)を急ぐ

ことのほか 急坂続く 奥の院
引き返しても 嘘はとおせる

夏草が 蔽(おお)う近江の 一揆の碑
オマエが問うた 我らの十八

要領の 悪いオマエと つるんでた
神になれない 不思議を笑った

約束を ぽおんと破り 死ぬなんて
オマエのいない 六月は罪


‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥


26.うそつき


稜線の 際(きわ)まで山は 紅葉(もみ)いずる
農夫の祈り オルガンの風

老人の 遺した旅の スケッチ帳
あなたは僕の 父さんですか

約束の 時刻はとうに 過ぎている
コーフク行きの 最終列車

きょうもまた 二万歩越えて 黄昏(たそが)れて
旅の最後は 鳥にも喋る



裏門に 少し遅めの サクラ咲く
こどものいない 木造校舎

鬱蒼(うっそう)を 手斧で開く キビ畑
生きていること 血が巡ること

編隊で 低空を裂く 戦闘機
里には六時の ドボルザーク



旧友の 小さな死を知る 会報紙
ともに荒(すさ)んだ 十六の秋

「うそつき」と 泣かれた貧しい 冬の部屋
息するたびに 空気が揺れた

あなたには 私は相応しくないと
御託並べて 女が失せる

大胆な 告白をする 聖少女
今夜わたしは 眠れそうない


‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥


27.名護湾


誰もかも デッキに上がり 風を嗅ぐ
安謝港までは あと一時間

夜桜の 露店の尽きる 石塀に
落書きされた ジャズのポスター

名護湾に 超特大の 虹が立つ
スタジアムでは ラッパが止まず

新しい 弦をキリキリ 巻いていく
二重奏する 彼女が来ない

午後四時の フクギ並木は 影淡く
葉擦れの音と 誰か呼ぶ声



酩酊三首


国境で ともに見上げた 大銀河
ながい指さき 異国の姫よ

噴煙を 仰ぐ愚直な 野天の湯
ひねくれ者の 行き着く至福

淋しきは 星空あおぎ 酩酊し
あの闘争歌 ハミングするとき


‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥


28.七堂伽藍


雪しまく七堂伽藍(しちどうがらん)凛として
若き僧侶の読経朗朗

木の根みち息はずませて立ち止まる
老いた夫婦よ雪の鞍馬よ

しんしんと坂を上がれば真如堂(しんにょどう)
外国人が道を尋ねる

鴨川の堤を走る女生徒に
するり抜かれる風邪気味の午後

人影も絶えた深夜の五条坂
どこかで下駄の音が重なる



泥酔七首


力ずく押し入る朝の礼拝堂
てっきりわたしが神と思った

国境はイチニノサンで封鎖され
今なら消せる我らの憂鬱

霧深し遠のく「ワルシャワ労働歌」
あとには粗雑な近代日本史

酔うほどに世界はやけに小さくて
ボクはそうだなラドンあたりで


嘘つかれ殴られ蹴られ壊されて
立派な親からリッパな息子じゃ

ことごとく疑惑は晴れず否定され
卓袱台(ちゃぶだい)さえも片づけられて

採決に敗れて戻るパーキング
せめて名だたる星よ煌めけ


‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥


29. 銅鑼の連打


擦れ違う どこかの人と お辞儀する
古都の小路(こうじ)は 斯(か)くも優しき

おや そこの 道に迷ったお上りさん
水子地蔵は その奥ですぜ

古刹より 京都盆地の 大夕焼け(おおゆやけ)
素直になろう 般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)

日の暮れて 糺(ただす)の森に 鳥が啼く
わたしの宿は まだ決まらない

雨に濡れ おんなが祈る 縁切り寺
不幸願って 鬼が棲む夜


お遍路の 石に彫られた 道しるべ
そろそろ来そうな あの二人連れ

下校する 少年たちを 呼び止めて
旧街道の みちを尋ねる

半島の 先まで行けば 見えてくる
なにか知らぬが 見えてくるはず

ようやくに ここまでは来た 西の道
岬の寺へ 同行二人(どうぎょうににん)

この地球(ほし)を わたし独りが 歩いてる
石畳のみち ほんのり灯る


生真面目な 相づちを打つ 村人に
粋な詐欺師の 面目躍如

見え透いた 下手な化粧の 猿芝居
あいつが神で こいつは何だ

けたたまし 議論の席の 片隅で
咳をこらえる 薄幸少女

高みから 正義を気取る 小わっぱが
喝采博す 極東の島

嘲笑と 罵声の続く 大宴会
ひたすら食べて 革命を呑む


いつもより 遅い知らせの 初桜
あした麻衣子は 倫敦(ロンドン)へ発つ

病床の 妹に添う 義弟(おとうと)の
拳の汗と エナメルの靴

中座して 宴席を出る 川っぷち
あらま武骨に 残りの桜

学校を フケて連(つる)んだ 純喫茶
とびきり甘い 青春ココア

嘘だけど あいつもこいつも みな死んだ
空耳だろうか シュプレヒコール


鐘楼を 登りつめれば 見はるかす
ローテンブルクの 夕映えの屋根

石段の 先は小さな マリア堂
異国の風は 心地よきかな

湖畔には 一軒だけの 料理店
ワインはどれが お薦めですか

ミサに行く 市民の絶えぬ 運河沿い
わたしの連れは はぐれたようだ

日溜まりで レース編みする 御婦人の
豊かな胸に すべて赦され


この街で 気を緩ませて 南下する
銅鑼の連打で 深夜の出航


‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥


30. なんでかねー


教会の鐘が聞こえる大運河
やせた女が手を振ってくる

ベネチアの落ち着き払う漁師町
チーズの香り石を踏む音

ゴンドラの東洋人は二人連れ
仏頂面で微動だにせず


鐘楼を吹き抜けていく突風に
嬌声あげる女それぞれ

広場では紳士淑女が神妙に
季節を閉じる名残のダンス

サンマルコ広場は誰もいなくなり
最後に帰る仮面のわたし


来てみればエッフェル塔はいさぎよく
眼下の広場に回転木馬

物乞いの母娘(おやこ)の肌は浅黒く
上目遣いでわたしへ囁(ささや)く

寡黙なる父の形見のハンチング
おどけてかぶる枯葉のセーヌよ


石厳当みぎへ折れればほらあそこ
ティビチそば出す隠れ家食堂

刺し草と藪を掻き分け辿(たど)り着く
石積み残る牡蠣小屋の跡

月は冴え伊是名伊平屋の灯もやさし
君うつくしく今日酔いどれて


スコールが収まり鎌を研ぐ午後に
従兄死亡の知らせが入る

雲間より一機二機三機のオスプレイ
犬とわたしは東シナ海

米兵の行き交う夜の新開地
ポールダンスのジェニーは十九


キビ畑すっくと伸びる穂の先は
飛行機雲と碧のカンバス

キビ刈りを終えた農夫が腰下ろし
ラジオを止めて深い息吐く

石畳一歩一歩と上りつめ
道しるべ追ういにしえの首里


なんでかねーアンタがいないと浜へ出て
島酒空けて寝ちゃっているさー



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31. ひとりぼっちのリュウ (第5回琉球新報児童文学賞 琉球新報)

◇ はるか南の島に、一ぴきのリュウが住んでいました。 その島で、たった一ぴきだけのリュウです。 呼びかけてくるものもいないので、名前すらついていません。
◇いったい、いつからひとりになってしまったのでしょう。それは、だれも知りません。 そのリュウですら、思い出すことができないのです。
◇いつもリュウはひとりぼっち。 大きすぎて、強すぎて、だあれも近寄って来ないのです。日の光、月の光にキラキラ輝くこんじきのリュウ。あまりにも気高いその姿に、だれもがおそれおののいたのでした。
◇「食べものは、山にも海にもごっそりある。 平和だ。 敵さえ見つからない。自由もいっぱいだ。 ああ、しかし‥‥いっしょに喜べる相手がいない。 幸せとは、いえないぞ」
◇リュウは、空を見あげました。
◇「友だちが近くにいれば、どれほど楽しいことだろう。ああ、仲間のリュウ‥‥どこにいるのだろう」
◇リュウは、さみしいのです。
◇あのリュウでも、さみしいときは泣くのです。島じゅうにひびきわたる大きな大きな泣き声。どくどく流すなみだ。 だれにだって、さみしくてたまらない夜もあるのです。
◇「きっとどこかに、仲間たちがいるにちがいない。 喜びを分かち合う兄弟たちが、必ずどこかにいるはずだ」

◇ ある日、リュウは決心しました。海の向こうにわたり、仲間を見つけようと思ったのです。
◇島をはなれるなど、初めてのことです。勇気のいることでした。 でも、友だちをもとめる強い気持ちが、リュウに勇気をあたえたのです。
◇となりの島へは、ゆっくり泳ぎ、ゆっくり飛び、思ったより簡単に着けました。 が、どこをさがしても、仲間は見つかりません。
◇つぎの島にも泳いでは飛び、飛んでは泳ぎ、少しつかれましたが、なんなく着くことができました。 しかし、やっぱり友だちはいません。そして、ほかの者がリュウをおそれ、遠くへ逃げていくのも同じです。
◇さらにつぎの島をめざします。 ひとりぼっちの旅が、長く長く続きました。
弱気になってしまう日もあります。
◇「こんなことを何度くりかえせばいいのだろう。引き返せば、おだやかな暮らしが続くというのに‥」
◇でも、リュウは、さすがにリュウです。
◇「いやいや、決心したんだ。 最後まであきらめないぞ。 そうさ、自分は、あの強いリュウではないか」
◇こんじきに輝く気高いリュウ。リュウは自分をはげましながら、またつぎの島をめざすのでした。

◇ ところが、泳いでも泳いでも、いくら空高く飛んでみても、つぎの島がまったく見えてこないのです。
◇それどころか、 そのうち大きなあらしがやって来て、 強い雨、強い風、リュウはどんどん流されてしまうのです。いくら飛ぼうと思っても、たたきつけられてしまいます。 いくら泳ごうとしても、波に呑まれてしまうのでした。
◇リュウは、がんばりました。負けてなるものか。負けるはずがないぞ。歯をくいしばって、たたかいました。しかし、あの強いリュウでも、あらしには勝てなかったのです。
◇リュウは、気を失いかけていました。体力を使いきっていたのです。あとは、流されるまま身をまかすだけ。
◇気がつくと、どこかの浜辺に打ちあげられていました。あらしは収まっていましたが、リュウの体は全身きずだらけ。少し動かすだけでも、ギィギィきしみます。
◇ふと見ると、がけ下に横穴があいています。 細長く奥まで続いており、休むのにおあつらえむきです。リュウは、つかれていました。 ようやくのことで、その洞くつに体をもぐらせ、ただただ眠ることにしました。
◇いく日眠ったことでしょう。 昼も夜も眠りつづけました。いく月もいく年も眠ったままなのです。 いく百年、 いく千年眠ったかもしれません。
◇夢を見ていたようです。仲間のリュウが集まっています。いっしょに遊んでいると、ほかの動物たちもやって来ました。 まわりを囲んで、みんなとても楽しそう…。

◇ ようやく、リュウは目をさましました。 体のいたみは、 すっかりなくなっています。
◇「やれやれ、元気がもどったぞ。 さあ、また出かけるとするか」
◇ところが、なんとしたこと。長い年月に洞くつが狭くなってしまったか、それともまさか、リュウの体が大きくなってしまったか、そこから出られなくなっているのです。 ほらあなに閉じこめられて、身動きできません。
◇「そ、そんな‥。 入れたのだ。 出られないわけがない」
◇いろいろ、あがいてみました。おかしな格好にもなってみました。 しかし、どうやってもだめ。もう、前にも後ろにも進めません。
◇リュウのちょうど真上に、ぽっかりと小さな穴があいています。そのゆがんだ四角だけ、なつかしい空が見えているのです。 しかし、飛び出そうにも、最初から頭がつかえています。しっかり、つっかえているのです。
◇もう、あきらめるしか、ないのでしょうか。
◇「なんということ。 このまま、ここで、年老いていくのか。 サンショウウオじゃあるまいし、こんな失敗をするとはな。 自分は、気高いリュウではないか」
どうやっても、リュウは抜け出ることができません。

◇ 北風の強い日、 荒波は洞くつの中まで押し寄せ、リュウのしっぽ、腹、胸、頭まで入ってきます。 勢いよく水が流れこんで、さすがのリュウも息が苦しくなります。 海水をたっぷり飲まされてしまいます。
◇「かんべんしてくれよな。なんだって、こんな目に遭うんだろう。何か、悪いことでもしたっていうのかい。神様よ、このままだったら、あんまりじゃないか」
◇神様すら、リュウには近づかなかったようです。さみしすぎることですが。
◇「もう、 どうにもならん。 最初っから、こういう運命だったのか。そんなのって、ほんと、ないよなあ。そもそもあのとき‥うおーっとと、また水が入ってきた。たまらんぜ。 げぼげぼ。ぶひーっい」
◇口いっぱいの水を吐き出して、 続けて二度、続けて三度、思いっきり真上に吐き出します。 真上には、ゆがんだ四角い希望の穴。ぶおーっと大きな音とともに、そこから水が噴き上がります。 クジラよりも、はるかに見事なリュウの潮吹きでございます。
◇おみごと、おみごと。動物たちがやって来て、やんや、やんやの大喝采。うわさを聞いて、世界中から駆けつけてくるのです。リュウの潮吹き見れたこと、大笑いして喜びます。お弁当ひろげて、みんなお祭りさわぎです。 いつまでたっても、笑い声が続いています。
◇「もしかして、仲間のリュウがうわさを聞きつけ、 助けにくるんじゃないだろうか。 こんな見事な潮吹きは、こう言っちゃなんだが、 気高いリュウにだけ出来る芸当だからな。 おーい、どこかの仲間たち。 この潮吹きが見えないのかい。見つけたら、そうさ、助けてほしいんだ。 よおし、もっと高く噴いてみせよう。 ここだ、ここだ。 頼むよ~」

◇それは無理だと思います。だって、そのリュウは、実は世界でも最後の一ぴきとなってしまったリュウなのでした。 一ぴきだけ生き残ってしまったリュウ。 かわいそうなこのリュウは、そのことを知りません。
◇そう、 仲間のリュウなんて、 どこを探してもいなかったのです。 それでもこのリュウは、助けに来てくれると信じて、 いつまでも待っているのです。 遠くの仲間にとどくよう、高く高く水を噴き上げているのです。 力いっぱい、噴き続けているのです。

◇ あれからもう、何千年、何万年たったことでしょう。 山も海も姿を変えて、見知らぬ生き物ばかりになっています。ただ、あの洞くつだけが、今もむかしのまま変わっていません。そして―

◇今も、そのリュウは生きています。 本当に生き続けているのです。 まだまだ元気で、仲間の助けを今か今かと待っているのです。あのときのまま。
◇北風の強い日に、近くまで来てごらんなさい。 遠くからでも分かりますよ。 ぶおーっと吼える声が聞こえてきます。空高く水が噴き上がります。 噴き続けているのですよ、 あのひとりぼっちのリュウが。
◇あなたも、 いつかそれを見ることがあるはずです。 そのときは、どうにかして助け出すことを考えてください。かわいそうなリュウを救ってください。
◇リュウは、いつまでもいつまでも哀しいのです。


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32. 三角山の氷

◇はるか南の大きな島に、小さな動物村がひとつあった。みんな、とても平和に暮らしている。水も食べ物も豊かにあった。 そのせいだろうか、だれもが、ふしぎなくらいおとなしい。 毎日、それはもう、静かに過ごしているのだった。
◇ゾウのラーは、その大きな体が恥ずかしかった。 ぬかるみを歩けば、足あとは水たまりになってしまう。 砂浜を歩いたあとは、まるで落とし穴の連続だ。かくれんぼをしても、すぐに見つかってしまう。もっと小さく生まれたかった。
◇子犬のロロは、ラーの友だちだ。ロロは元気で、すばしっこい。ラーは、ロロがうらやましかった。あんなふうに、力いっぱい走ってみたいと思っていた。
ロロにすれば、ラーこそ、すごいと思っている。 村で一番強いのに、まったく威張ろうとしないのだから。ラーは、とても優しいんだ。もっと、大きな体を自慢していい。
◇ある日、動物村に、ヒバリのチッチがもどってきた。
◇「みんな、聞いておくれ。すごいものを見つけたよ。三角山を知っているだろう。 その北側のほら穴には、氷がぎっしりつまっているんだ。この島にも、氷があったんだ。 冷たくって、とっても気持ちがいいんだよ」
◇それを知って、みんな大さわぎ。 一年じゅう暑い島なので、だれも氷を知らないのだ。 うわさには聞いていた。 それは夢のように、自分たちには遠いものだと思いこんでいたのだ。その氷が、三角山にあるという。 どんなものか見てみたい。さわってみたい。できれば、少し食べてみたい。
◇ゾウのラーも、そう思った。そのほら穴へ行ってみたい。氷にふれてみたかったのだ。 しかし、三角山へは道がなかった。ジャングルを越えなければならない。草やぶが深く生い茂り、行く手をふさいでいるという。必ず迷ってしまうだろう。大きな体のラーが進んでいこうなど、とても無理な話だと、あきらめるしかなかった。
◇「案内するよ。だれか、ついておいで」
◇チッチがさそっても、みんなしりごみした。ジャングルや草やぶを恐れて、ためらってしまうのだ。ただ、鳥のチッチをうらやましがるだけだった。
◇「ぼく、氷を食べてみたいな」
◇子犬のロロが走り出した。びっくりしているみんなを置いて、ロロはチッチの下をついていった。 残されたみんなは、 口を開けたまま、遠ざかるロロを見つめていた。
◇ラーが一番おどろいた。 友だちのロロが走り出しても、自分の足は動かなかった。草に隠れて、すぐにロロは見えなくなった。チッチも、空に小さく消えていった。
◇草やぶをかきわけ、枯れ枝をはらい、ロロは三角山をめざしていった。ジャングルの暗さも平気だった。ときどきチッチが見えなくなるが、鳴き声でみちびいてくれるので不安はなかった。
◇何度もころんだ。ひっかき傷もいっぱいつくった。それでも、ロロは歩きつづけた。小さなロロの歩いたあとには、小さい踏みあとが一本残った。
◇三角山が見えてきた。そびえたつ大きな山だ。もちろん三角形をしていて、頂上がとがっている。
◇ロロの勇気とチッチの励ましが、ロロを三角山のほら穴まで登らせた。とうとう着いたのだ。
◇「分かるかい、ロロ。奥に進んでごらん。宝石のように、きらきら輝いているだろう。それが氷だよ」
◇初めての氷。前足でふれてみる。 冷たくてびっくり。そっとなめてみる。疲れがとんでいくおいしさ。 つぎつぎ、口に入れてみる。 氷だ。氷だ。
◇「みんなにも食べさせてあげたいな」
◇ロロは、氷をくわえて下りようとした。チッチがわらった。
◇「ロロ、氷はとけて、水になってしまうんだ。ほら穴から出してしまえば、すぐに消えてしまうのさ」
◇知らなかった。動物村まで持ち帰りたかったのに、とても残念に思った。しかたなく、ロロはそのまま山を下りた。自分のつけた踏みあとが残っている。 その上をその通りに歩いて、 迷わずもどっていった。
◇動物村のみんなは、ロロの話を聞いて、わくわくしてきた。氷のある三角山へ登りたいと思った。 ロロが行けたのだ。自分だって、行けるかもしれない。 どうしようか、みんな迷っていた。 でも、やっぱり……。決心がつかなかった。
◇「つぎは、わたしが行く」
◇ロロの姉さんが名のり出た。
◇「わしたちも行ってみたいな」
◇父さんと母さんだ。
◇ロロの家族が、ロロのつけた小さな踏みあとをたどって、三角山をめざした。
◇「ぼくたちも行こう」
◇少し広がった踏みあとを、イリオモテヤマネコの兄弟とヤンバルクイナの姉妹が続いた。ロロの家族が歩いたあとなので、分かりやすかった。みんなの歩いたあとが、細い道になっていく。
◇ブタの親方とイノシシの弟子たちが向かいはじめた。それを見て、ヤギの校長先生とヒツジの生徒たちも加わった。 道は、もう少し広がった。
◇「これなら、わたくしたちでも歩けそうですわね。 いかがでしょう。氷とやらを、いただきにまいりませんこと」
◇カバの奥さんとサイの奥さんが相談して、すぐに出発を決めた。道は、もっと広がった。つぎつぎみんなが参加して、列になって三角山をめざしていった。
◇ゾウのラーは、もう、ためらわなかった。 こんな大きな体でも、みんなが開いてくれた道なら進むことができそうだ。
◇あっちこっちにぶつかった。あれもこれも踏みつけた。けれど、必死になって、ラーはみんなを追いかけた。 振り返ると、おくびょうなキリンとわがままなダチョウもついていた。ジャングルの中に、一本の道がのびていく。
◇みんなで、ほら穴に着くことができた。汗びっしょりだ。でも、ここにはお目当ての氷がどっさりある。ゆっくり入っていった。わきあがる歓声。そして、一気に静かになった。氷を手にして、みんなうっとりした。
◇山の氷は最高だ。口にしてもいい。体にあててもいい。ひんやりした気持ちよさ。だれもが幸せを味わっていた。ラーもそうだ。ほんとに来れてよかったと、ラーはみんなに感謝した。
◇「おーい、ぼくも、また来ちゃったよ」
◇あれあれ、おくれてロロもやって来た。 疲れを知らない元気ものだ。なんだか、ここに第二の動物村ができたみたいだ。みんな、にこにこ笑っている。氷と同じように、みんな、きらきら輝いていた。
◇帰りは、元気なロロが先頭だ。 「動物村のピクニック」を歌い出した。みんなもつづいて、大合唱だ。こんなふうに歌うのは、本当に久しぶりのことになる。 ラーが歩いたあとなので、 帰りの道は広かった。
◇ロロが歩き、ロロの家族が歩き、動物村のみんなが歩いて、三角山への道が開いた。その中でも、ラーの大きな足が一番活躍した。ラーが来ていなかったら、こんなきれいな道にはならなかった。
◇みんなの一歩一歩が、すてきな道になったのだ。 これからはいつでも、三角山のほら穴まで行けるだろう。ほしいときに、氷が食べられるのだ。
◇動物村が見えてきた。ヒバリのチッチが、空から出むかえだ。楽しそうなみんなの歌声のうしろに、長い長い道がつづいていた。

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33. フランス人形 

◇ 米兵の家族が本国に引きあげる際、不要になった家具類をまとめて処分していく店がある。
◇二歳になる娘を連れて、 テーブルセットの出物を見に行ったはずの妻が、古ぼけた西洋人形のケースをかかえて帰ってきた。 店の片隅で場違いに置かれていたものが娘の目にとまり、 その場から離れようとしなかったという。店主の強いすすめと大幅な値引きに、つい買ってしまったとのことだ。
◇時代を感じさせるフランス人形だった。あざやかな金髪に真っ青な瞳。小さくほほえんだ口元。裾の広がった純白のドレス。生あるごとく、妖しさすら覚えてしまう。
◇ケースの中でただ立っているだけなのに、 娘はよほど気に入ったとみえ、一日中ガラス越しに話しかけている。 ひとりっ子で、近所に友達もいないせいかもしれない。
◇数日後、妙なことに気づいた。 娘の髪が少し赤みを帯びて見えるのだ。そのせいだろうか、表情までが、いつもと違って見える。
◇また数日後、確かに髪の色が変わってきている。 赤とか茶というより、 これはもう金髪だ。 髪ばかりではない。瞳までが、海の色に染まりかけている。
◇まさかと思いつつも、さすがに気味悪くなって、 翌日のゴミ回収に人形を捨てるよう、妻に命じた。 嫌がって娘は泣き続けたが、いつしか眠ってしまった。
◇翌朝、娘がいないという声をまどろみの中で聞いた。娘の名を呼び続ける妻の声が悲鳴に変わった。飛び起きて妻を見れば、 人形ケースを指さして震えている。
◇ガラスケースの中いっぱいになって、 二体の人形が向き合っていた。手をしっかりと握りあっている。大きさが同じだ。顔つきも似ている。 髪はもちろん、目も口もそっくりだ。しかし、どうにも不恰好だった。片方の人形が、おきまりのドレス姿ではない。 パジャマを着たままでいるのだ。 それも、娘のパジャマと同じ柄というのだから。
◇目を見開いて硬直している二つの人形は、互いに精いっぱい、ほほえみかけているように見えた。


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34. ゴジラだったころ (琉球新報「落ち穂」)

◇隠していたが、白状してしまおう。ぼくは、ゴジラだった。
◇畳の街に整然と並べられた汽車やパトカー、積み木のビルディング。それらすべてを蹴散らしていた。妹の人形や、ときに妹本体をも踏みつぶしていた。無敵。そうさ、ぼくは天下無敵だった。
◇街はちっぽけだった。ぼくは、とてつもなく大きかった。
◇同じころ、スーパーマンを名乗るニンゲンモドキがいた。カッコつけちゃって、いけ好かない。異星人であるというのに、特定の地球人だけに肩入れしている。そんなインチキ野郎も含め、ぼくは容赦なく無差別に攻撃していく。
◇成人しても、まだゴジラっていた。カマキラスやクモンガのような見かけだおしを粉砕していた。格好だけは赤くて勇ましい、エビラなんてニセモノ野郎も打ち砕いた。キングコングのように美女にメロメロになっちまうのは軽薄と思えた。
◇空だって飛べた。ラドンだった。羽ばたけばビルは崩れ、戦車は吹っ飛んだ。遠い国、遙かな空間へも自由に行けた。
◇時が過ぎた。気がつくと、ゴジラは向こうに大きく立っていた。ぼくの足もとには、着古されてへにゃへにゃになったゴジラの着ぐるみが落ちている。ぼくは50分の1に縮小され、どうやら、ニンゲン仮面にされてしまったようだ。マットーに見えなくもない。ゴジラ、ラドンにも有効期限があり、やがて自分にも飛べなくなる日が来るだなんて、ああ、あの悪いうわさは本当だったんだ。
◇いまでは情けなや、ハイテクメカゴジラの襲来に逃げまどうエキストラの一員だ。合成画面撮影のため、メカゴジラの姿などどこにも見えないというのに、その幻影に脅えているのだ。どうせ脅えるのなら、機械であるメカゴジラよりも、怪獣を恐れていたかった。生身で、本当に凄いヤツら。
◇遠い記憶なのか、いまもテーマ曲が聞こえてくると、体がムズムズしてくる。大声で吼えてみたくなる。なんもかも、ぶっ壊したくなってくる。


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35. コミューン伝説 (沖縄タイムス)

◇1884年に起こった秩父地方の住民蜂起は、一般に「秩父困民党事件」と呼ばれている。日本の近現代史において、住民自らが自治権力を志向した、まれな闘いだった。
◇農民らは、極度の貧困と高利の借金に苦しんでいた。困民党として組織された近代の百姓一揆は、秩父一帯を制圧した。明治政府の権力に、空白の風穴を開けたのだ。「自由自治元年」の旗を掲げ、「恐れながら天朝様に敵対する」決意で、時の政府から離れた別空間を求めた。自分たち自身の力で理想の聖域を構築し、「自由自治」を目指した。そして、敗北したあとに「伝説」だけが残った。
◇反対運動や請願行為は、いくら規模が大きく、形態がどんなに激しくても、要求が通った段階、または要求が潰された段階で終わりになる。相手が出てこなければ、次の手が打てない。情況をリードしているのは自分たちではない。権力を伴う住民自由自治とは一線を隔てる。
◇世界史の中で、それは「パリ・コミューン」に代表される。1871年、立ち上がったパリ市民により、王も政府も介入できない自由都市空間が実現した。住民による住民のための自治共同体、「コミューン」。市民の自由が保障され、人権が尊重された。その方針を自らの意思で決定し、実行し、守っていくという、真の自由自治が完成した。外部からの激しい暴力に抗し続け、歴史に輝きを残した。
◇さて、あまり知られていないが、自由自治を目指した闘争の歴史が沖縄にもある。1931年から32年、大宜味村喜如嘉を中心とした「村政革新運動」と呼ばれる動きだ。
◇初期の段階では、村当局者の専横に対し、不正を糾弾し、減税を求め、辞職勧告を突きつける反対運動として存在した。しかし、その後の闘争の発展と意識の高まりが、住民組織を質の高い運動体に変えていった。自由意思と自主性を重んじた組織のもとで、流通と消費を共同体の事業とし、さらに共同生産をも手がけていた。男たちだけでなく、女も子供もシステムの中で役割を担い、主人公となって躍動していた。軍国主義日本に組み込まれない自治共同体、独立した住民自主管理組織が完成した――かに見えた。
◇時代は昭和初期、早すぎたとは言わないまでも、突出しすぎていた。日本からも世界からも、そして沖縄の中からも目立った支援はなく、孤立無援の「コミューン」は、その存在を許さない暴力によって潰されていく。そして、記録の中でも、単なる住民反対運動として片づけられてきた。
◇沖縄を含む日本の近現代史の中で、自治共同体(コミューン)の完成を目指し、理想社会の実現をも念頭に置いていたと考えられる住民闘争は、秩父と喜如嘉の2例しか知らない。歴史から抹殺されないよう、秘めやかにでも伝えていく必要があるだろう。それが、たとえ「コミューン伝説」というかたちであったとしても、名前が勝手に歩き出すことだって、決してないとは言えないだろうから。


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36. アイヌ語入門(知里真志保著) (琉球新報「晴読雨読」)

◇ポプラ並木で有名な北海道大学。そのわきの古本屋。若い日、旅の気まぐれで立ち寄って、最初は土産気分で買い求めた「アイヌ語入門」。
◇知里真志保は、アイヌ民族のアイヌ語学者として知られる。1956年に発行されたこの本は、語学書の体裁をとりながらも、実はアイヌ語への熱い思いから発した宣戦布告の書であった。戦う相手は「アイヌ研究家」。アイヌのこころや生活を無視してきた日本人の学者連中だ。
◇動植物。人。大自然。道具や衣服。言葉。すべてのものに“こころ”があり、神々の魂が宿る。神々(自然)からの豊かな恵みを感謝して、みんなが共に生きている。
◇優しさ。慈しみ。愛。アイヌの豊かな精神社会を理解しようとせず、目の前に存在するモノやコトバだけに固執してきた研究屋たち。彼らは、自分の手柄となる研究の対象物としてだけアイヌに接してきた。そこには今を生きる北の隣人アイヌの姿はなく、過去の民族の標本姿だけがある。そんな時代に、アイヌの側から彼らの喉元に突きつけた刃がこの書だ。
◇アイヌに生まれ。アイヌを愛し、アイヌであることを誇りとして生きた知里真志保。血管が浮き上がってきそうな激しい文章で迫ってくる。知里の攻撃目標に、民間の研究者などは含まれていない。相手はこの道において大家として「名声」を得ている大先生ばかりなのである。
◇その容赦ない「個人攻撃」に、嫌悪感をいだく読者もいるだろう。昨今の風潮では、他人の説にチャランケ(談判)つけるときは遠慮しがちなポーズが必要で、ズバリ言わないことが、たしなみとされている。遠回しな表現に慣れてしまっている不健康な諸氏にとっては、いささか毒がきつすぎるかも知れない。

◇御都合主義的解釈の彼らの誤りを、単なる誤りとして見過ごすことはできない。アイヌ(アイヌ語で人間!)の生き方を理解しようとしていたなら、こころを感じとろうとしていたなら、間違えようのない誤解なのだ。知里が怒るのも当然だ。民族の“こころ”を別にしたところで成り立つアイヌ語など考えられないのだから。
◇無断で墓をあばき、研究室のガラスケースや段ボールに大量の骨をコレクションする。家宝になっている伝来の品々を名目つけて持ち出し、自分の収蔵庫にしまいこむ。こんな日本人の「学者」がゴロゴロしていて、アイヌのこころを冒涜していた。それと同類の学者が、今度は言葉や地名の私物化を図り、言葉に含まれている「魂」を捨ててきた。

◇『アイヌ研究を正しい軌道にのせるために!』との知里の願いは、どう実を結んでいるだろうか? 残念ながら、今日のアイヌを取り巻く日本人の中から、知里が批判していた類いの学者が一掃されたとは言えない。また、紳士ヅラしてやってきては、同化を押しすすめていくヤカラも減ってはいない。民族の“こころ”までも抹殺しようというのである。
◇しかし、どっこい。民族の中からは、アイヌ語を意識的に学びとろうとする多くの若者が育ってきた。伝統的な儀式や習慣を復活させようとする試みも各地で行われている。そしてなにより、アイヌとしての“こころ”を持った多くのアイヌが現れ、民族をしっかり支えている。
◇アイヌ民族の中から確実に、知里真志保の遺志を継ぐ人々が育っているのだ。知里の熱い思いにこたえて、アイヌのこころを誇らしげに掲げるようになっているのだ。
◇民族の思いがどのように結晶していくのか、兄弟である沖縄の側からも、熱いエールを送り続けていきたいと思っている。


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37. 奥ゆかしくて (沖縄タイムス)

◇最近、「プライド」という言葉をよく耳にします。以前は、よほどの事態のときに語られる特別な言葉だったような気がしますが、昨今では安っぽく、頻繁に使われています。多くが、「自分のプライドが許さない」「自分はプライドが高い」といった、相手を拒絶する強い姿勢を示すときに用いられます。
◇他人に負けないよう、精いっぱい「威厳」を誇示しているのでしょうか。自分の非を認めたくないとき、非を認めていると相手に悟られたくないときに、意味なく使われるようです。とりあえず、誰からも反論の出ようがない便利な言葉が世間にはいくつかありますが、これもそのひとつでしょう。その言葉が出れば、話は打ち切り。互いになんの収穫もありません。
◇俗っぽい「プライド」は、見栄や虚勢によく似ています。都合の悪いことや面倒な家事などを「プライドが許さない」と他人に押しつけることができます。◇「自分はプライドが高い」と書かれた看板を掲げていれば、わけもなく威張ってもいられます。「プライド」は背伸びするための小道具となり、どんどん軽薄なものに落とされていきます。
◇プライドは、強調して他人に示す性質のものではないでしょう。自分が決めたこと、信じたことで、自分にどう誠実になれるかということではないでしょうか。プライドが許さないという怒りは、自分に対して納得できないときに向けるべきでしょう。そのプライドのバーの高さを維持することも、高くすることも、そして低く下げることさえも本人次第です。誰が見ているわけでもありません。まして、誰に知らせる必要もありません。
◇本来のプライドの高さということで私がすぐ思い浮かぶのは、朝鮮独立運動で囚われ、すさまじい暴力の中で屈服を強いられても耐え抜いた人々、とりわけ女性の姿です。孤独の監獄の中で人間性を守りぬき、自分の尊厳と向き合うわけです。このような究極の場面には、私たち自身はめったに遭遇しません。
◇しかし、身近なところにも小さな場面は用意されています。職場や地域はもちろん、家庭生活の中にさえ、日常的に存在しています。それを知らんぷりして、簡単にプライドを捨てていることが多くあります。「妥協」と言い換えることもできますが、生活の中でひとつひとつのことにどれだけ気づき、こだわっていけるかが問われているような気がします。
◇プライドが高いことは居丈高になることではなく、かえって謙虚になることだと思います。誰も見ていない、誰も知らない場面にこそ、守るべきプライドが活躍するのではないでしょうか。「自分のプライドが許さない」ことで、行動すること、拒否することへの後押しができるのだと思います。
◇プライドという言葉で、他人に威圧感を与えることなどありません。日本語に訳せば「自尊心」。自分自身への誠意と理解します。それは内に秘めておく、本当は奥ゆかしくて、慎み深い性質のものだと思います。


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38. 新郎と青年 (琉球新報「落ち穂」)

◇ 照明がそっと落とされ、全員が囲む中で新郎新婦のダンスが始まった。スポットライトに照らされて、二曲目はさらにスローなブルース。
◇新郎は新婦を席に返し、輪の外にポツンとひとりいた青年の手を取る。そして、怪訝そうな周囲の視線をよそに、男同士で踊り始めた。
◇青年の姉は、新郎のかつての恋人。 姉と弟の二人暮らしのアパートに彼はよく通っていた。三人でダンスに行ったこともある。幸せそうだった。
◇北海道で、苦労の連続だった姉と弟。貧困のため幼い労働力をも必要とされ、奉公仕事や農作業で小学校低学年までしか学校にも行けなかった。根強い差別にもあった。さらに両親の死去と続く。それらを乗り越えて、二人で東京に出てきた。夜の仕事もした。がんばって生活も軌道に乗り、そしてようやく近づいてきた幸福だった。
◇だが、弟の知らないところで二人は破局。結婚は恋愛の延長というわけに簡単にはいかなかった。愛情以外の制約があることを改めて思い知らされた。彼はいわゆるエリート。超一流とされる大学を出たばかりの商社マンであり、そして彼女はアイヌ民族だった。差別問題に取り組む中で出会っていた。
◇傷心の姉は、北海道へ帰って行った。
◇しばらくして、彼は職場の女性と結婚することが決まる。東京にひとり残る弟に案内状が送られてきた。もう会うこともあるまいと思っていただけに、意外な招きだった。
◇「祝福はできないよ。そうでしょ。あの隣にいる女の人が姉だったならって、そればかり。今日は皮肉で来てやったんだよ」 新郎新婦の入場の際に、そうつぶやいていた青年…。
◇踊りながら、新郎も青年も泣いていた。抱き合って肩を震わせていた。
◇「おめでとう」
◇離れぎわ、小さい声で青年はようやくそれだけを言った。
◇新郎は言葉が見つからず、ただ何度も何度もうなずくしかできなかった。

◇ そんなことがあったということも恐らく知らないまま、その姉は数年後に亡くなった。薬物の影響もあって、衰弱死だった。最期は老人のようだったと聞かされている。


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39. ストーブ列車 (琉球新報「落ち穂」)

◇真冬の北海道東部。
◇ときに零下三十度にもなる雪と氷の白い世界だ。
◇吐いた息さえ凍らせていく。
◇気持ちまでもが凍ってしまえば、ひとりの旅は、ジ・エンドになる。
◇そんな極寒の地の、ま、前世紀のありふれた話だ。
◇そう、これは相変わらずの昔ばなしなのである。

◇釧路と網走を結ぶ釧網線に、蒸気機関車が最後の雄姿を見せて走っていた。
◇ヒーターとは別に、その客車内には前後に二カ所、石炭ストーブが据えられている。
◇国鉄で唯一残ったストーブ列車だ。
◇ディーゼルの急行を避け、鈍行のその汽車、その座席が目当てで乗りこんだ。

◇当時、冬のひとり旅は珍しい存在だったようで、火の周りに陣取っていたじいちゃん、ばあちゃんたちが、早速話しかけてくる。
◇ストーブを中にして、家族団欒の図だ。
◇そういう絵が、そのころは好きだった。

◇本来は車掌の業務なのだろうが、もう自分たちで勝手に石炭をくべている。
◇鱈(たら)や氷下魚(こまい)の干物がストーブの上であぶられ、やおら、じいちゃんの防寒服の下から、手品のように酒が出される。
◇真っ昼間だ。
◇だからといって断る理由は何もない。
◇勧められて、当然いただく。
◇ラベルから察して高級な酒ではなさそうだが、この上なく旨い。
◇小さなコップが、みんなの中を移動する。
◇ばあちゃんたちの飲みっぷりも見事なものだ。
◇窓の外は流氷のオホーツク海とくる。

◇酒と石炭ですっかり火照り、バカ話、ホラ話に花が咲く。
◇ピッチが上がれば、やがて酒は空っけつの道理だ。
◇終点までは時間もあることだし、もの足りない表情の御一同。
◇そこで小生、とっておきのスペシャル水筒をザックより取り出す。
◇注いだ液体は、キザにも恐縮にも、ウォッカだった。
◇酒と知って、一同歓声を揚げる。
◇ばあちゃんが、小生をたたいてキャッキャする。
◇寒さ対策を口実に、強い酒を水筒に詰め替えて持ち歩いていた。
◇ほんのり緑は、ライムを加えているからだ。
◇旅に似合っているとは思えない。
◇カッコつけていた。

◇思わぬ酒宴の延長戦に、ますます盛り上がる。
◇離れた席にいた二人連れまでが雰囲気につられて加わり、
かえって格好の肴にされている。

◇ほかに乗客もおらず、さあ民謡なども始まった。
◇苦労を物語る手の皺が動いて、一斉に拍子を取り出した。
◇若いころ、歯を食いしばって、みんな輝いていたんだろうな。
◇かなりの美人だったはず、このばあちゃん。

◇以来、寒い旅に酒は欠かせない。
◇暑いときも、中途半端な季節も、それなりの口実は見つかるもので、旅に酒は欠かせない。

◇たとえ我が身は寓居に在ろうとも、酒飲めば気分は旅ごころ。
◇「栖(すみか)を旅」とする暮らしにあっても、ときに、「旅を栖」としてみたい。
◇勘違いに憧れる。

◇気分だけでも、きりりと冬の旅していたいね。


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40. スロベニアのオバちゃん (沖縄タイムス)

◇旧ユーゴスラビアから内線を経て独立したスロベニア。お気楽な旅人には、平穏で美しい小国に見える。
◇湖畔を散歩していると、ベンチに東洋系の小柄な二人組がいる。目線が合った。「ニイちゃん、ニッポン? ちょっと、シャッター押したって」ときた。
年輩者でこの喋りかた。大阪のオバちゃんだ。この国で初めて見かけた日本人だった。意外とツアーでもあって、はぐれたのかと思ったら、二人だけで回っているとのこと。私と同じように、よく分からないからスロベニアを選んだとは、ひねくれ者め。
◇私の泊まっている安い民宿を紹介しようとしたら、彼女たちはユースホステルに行くという。確かに一番安いが、ヨーロッパの若者たちと相部屋だ。相当な年齢差のある連中と同じ部屋でも平気という。
◇近くで一緒に軽い食事をとったが、注文は全部大阪弁だった。ジェスチャーと人差し指の活用で、なんとかなっているらしい。たいしたもんだ。臆病な自分が恥ずかしい。
◇姿を隠すほど大きなザックを背負い、二人はひょこひょこ出ていった。会話はやかましかったが、うわさに聞くオバタリアンと違って爽やかだった。たいして年の差がない私を「ニイちゃん」と呼ぶのも悪くない。
◇沖縄は、オバァの元気さでは定評がある。さて、おばちゃん世代では、どうだろう? 現役でコテコテに輝いている「スロベニアのオバちゃん」は魅力的だった。こちらも年を取って、女性の好みが変わってきたのかな。


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41. 民族の祭典 (琉球新報)

◇オリンピックは「民族の祭典」と呼ばれるが、現実は国家の「威信」を示す場で、祭典とはほど遠い。民族の代表も選ばれない。
◇タイ北部、国境に近い村で、民族の祭典そのものに出合った。祝典の最後のイベントだった。村の広場に作られた臨時の舞台で、近隣の山岳少数民族が一堂に会し、民族衣装の正装で踊りを競いあう。ライトに照らし出された刺繍の模様が美しい。
◇この村の周辺には、山の斜面にへばりつくように建てられた、いくつもの集落がある。ビルマ、ラオス、雲南などから移り住んだ各民族の「村」だ。ひとつ起伏を越えると、もう全く違う民族が住み、普段は交流が少ない。それぞれ衣装だけでなく、文化も習慣も異なる。顔立ちだって、明らかに違っている。
◇会場では、観客の視線も温かい。村人みんなが、自らの民族を誇りながら、ほかの民族をも尊ぶ。同様に、私もアジア人でいることの喜びを強く感じる。そこにいる自分に違和感がなく、時を共有できて幸せだ。
◇私が外国人であるとは、相手からもあまり意識されない。ヨーロッパを旅するとき、互いに感じる異邦人意識が、ここではほとんど起こらない。外見だけが理由ではなさそうだ。自分が培ってきた文化とは異なっているはずなのに、親しみを覚えてしかたない。
◇「世界」となると自信はないが、少なくとも「アジアはひとつ」との思いこみが激しくなる。だから、旅はやめられない。


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42. イムジン河 水清く (琉球新報)

◇二十世紀の名曲といってもいい「イムジン河」。1968年、「ザ・フォーク・クルセダーズ」が歌ったことで、この歌は広く知られるようになった。「♪イムジン河 水清く とうとうと流る~♪」 フォーク世代とやらに属する私も、当時よく演奏し、歌っていた。
◇原曲は北朝鮮の現代歌曲だ。「帰ってきたヨッパライ」に次ぐ「フォークル」の第二弾として、ラジオからよく流れていた。発売前から大ヒット間違いなしと思われていたにもかかわらず、なにやら複雑で過剰な政治的配慮とかがあって、レコード化が突然中止になった。以後、幻の名曲となって放送もされず、オヤジ世代が密かに、そして感傷的に歌い継いできた。
◇朝鮮戦争以後、河を境に民族が南北に分断され、肉親や友人であっても再会できない哀しみが詞にこめられている。自由に飛び交う水鳥の姿に願いをこめている。

◇ 世紀を越えて現在、この歌がよく聴かれるようになった。 キム・ヨンジャはNHK紅白歌合戦において新たな日本語歌詞で熱唱し、フォークル版もCDで復活した。映画「パッチギ!」では、歌そのものがテーマのように、画面から何度も流れていた。朝鮮総連と韓国民団が笑顔で握手をする時代なのだ。
◇数年前、 朝鮮語で歌う「イムジン河」の一部がテレビのドキュメンタリー番組から流れた。それまで私は、原曲を聴いたことがなかった。十代の在日僑胞が通う朝鮮中高級学校。 その女生徒たちが母国語で歌う「リムジンガン」。その透き通った歌声に魅了された。今まで知っていたフォーク調のアレンジと異なっており、 ゆったりと、おおらかな歌だった。日本語の詞では「想いは遙か」とあるが、原曲でもそのように歌われているのだろうか。歌の持つ凄味というものに、久々に出合った気がした。
◇矛盾や格差をわざと無視して、統一だけを追求するのは危険なことかもしれない。仮に実現したとして、 それが理想郷というわけにもいかず、 その先の混乱は見当がつかない。だが、生きている人間の心情は、そんな次元とは別に、それぞれの想いが強くある。 系譜を大切にする民族なら、統一への願いや親愛の情は、なおさらだろう。

◇ ソウルの北西、オドゥ山統一展望台から眺める「臨津江」がイムジン河のことだとは、 現地で「リムジンガン」とハングルを読みとるまで気づかなかった。多くの制約と緊張を強いられる外国人専用の「板門店」とは違って、そこはレジャー感覚で訪れる韓国人でにぎわっていた。
◇朝鮮の南と北を隔て、人の心まで隔てることになってしまった哀しい河。眼下を流れゆく河のすぐ向こうに、 届かぬ遠さでもうひとつの故郷が存在し、そこで兄弟たちが生活を営んでいる。
◇人影は確認できないが、来訪者たちはレンタルの双眼鏡を懸命に覗き、北の地を指さして何やら語り合っていた。見ている限りでは深刻な様子ではない。みんなやけに陽気で、あっけらかんとしているのが私には意外だった。勝手に思い描いていた境界線の緊張と郷愁イメージが崩され、お気楽なヨソモノとしては、 わがままな不満をいだいてしまった。
◇分断後に「北」で作られた曲なので、「南」の人々にはイムジン河の曲は知られていない。詞とメロディーを思い浮かべて感傷的に眺めているのは、どうやら私だけのようだ。

◇ 二つの「国」を縫い合わせるようにして、歌詞のとおり、イムジン河はとうとうと流れていた。


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43. 旅は二人三脚

◇我ながら、ひねくれている。当時、ガイドブックがまだ出版されていなかった。それで、行き先をラオスに決めたのだ。妻と二人、銀婚旅行といってもいい年になっている。
◇タイから陸路、メコン河に架かる国境橋を越え、トゥクトゥクと呼ばれる小型オート三輪の荷台に揺られて、ラオスに入る。首都の中心部でさえ田舎の雰囲気がただようような、落ちついた穏やかな国だ。
◇ところが二日目にして、私の左足が激しく痛むようになった。何年かぶりに出た痛風の発作である。親指のつけ根が腫れあがり、かかとでしか歩けないのだ。とにかく痛い。
◇なんとか動けるものの、これは、予定外の出費にもなった。そこそこの距離でもトゥクトゥクの世話になる。貸し切りでも五十円程度と、日本円に換算してしまえば安いものだろうが、ラオスの最高額紙幣が二枚必要となる金額だ。宿だって、階段のあるところは敬遠したいし、トイレとシャワーが部屋の外というのも都合悪い。宿のランクを、下から二番目にアップすることになる。
◇そんな状態でも、毎日せっせと出歩いた。短い旅なので、宿で過ごすことがもったいなかった。松葉杖でもあれば、かなり楽になっていたはずだが、高望みというものだ。病院どころか、薬局さえも見つからない。頼りになるのは、妻の右肩だけだった。肩に手をやるなんて、つきあい始めた二十代のとき以来だろう。そうしてバランスを保ち、ときに体重を預け、かかと歩行を続けていた。
◇それでも、次の街に移動したころには痛みもやわらぎ、なによりも、かかと歩きに慣れてしまった。妻の肩も案外いいもので、他人からは、デレデレした中年カップルに見えたかもしれない。
◇ラオスは暑い。そこに冷たく、安くておいしい生ジュースが存在する。歩いていても、果物とミキサーの姿はすぐ目に入る。汗をかくたび、当然何度もお世話になる。パパイヤ、バナナ、ココナッツ。メコン河を眺めてひと休み、風を受けてふた休みと、屋台をハシゴした。昼も夜もゆったりと時が流れていて、心地よかった。
◇妻の腹具合がおかしくなった。生水は飲まないよう注意していたが、ジュースに混ざった氷のことまでは考えなかった。どう構造が違うのか、私の腹は、いたって快調なのだが、妻は起きあがるのも辛そうだ。
◇旅の最後は、何度も乗り換える大移動の日だ。翌朝のバンコク発、変更不可の飛行機に間に合うよう、タイの国境駅から夜行列車に乗らなくてはならない。なんとしても、夕方までに国境を通過しなければならないのだ。できなければ、帰れない。きわめて主観的に言わせてもらうなら、命懸けの大移動だった。そのときは、そう思った。
◇妻は、腹の痛みに耐えかねて、体をくの字に曲げている。二人分のザックを私がかつぐ。肩では高すぎて、私のベルトにつかまって、下を向いたまま苦しそうに妻が歩く。悲愴感ただよう、またはこの上なく滑稽な二人三脚の光景だったろう。
◇ようやくのこと、翌日早朝、空港に到着した。元気になっている。案の定だ。妻は、けろっとハンバーガーなど食らっている。私も、足の痛みを忘れていた。
無事に帰って来れば、すべてが笑い話になる。今まで二人とも、旅では頑丈だった。無理がきいたはずだった。今回のことは、年齢を考えさせる警告となった。
収入や家事のことで頼りあうことはあっても、体力のハンデを補ってもらうことになるとは思いもよらなかった。文字通り、互いに支え、支えられたのだ。ひとり旅だったならと思うと、ぞっとする部分がある。特別に礼など言わなかったが、ありがたかった。妻もそうだろう。
◇構えるようなこともなく、自然に助けあっていた。してあげたとか、してもらったという感覚ではない。長く共同生活してきた夫婦として、当たり前の行為だった。むろん、感謝の気持ちは大きいが、義理や負い目、貸し借りなどという他人言葉とは無縁だ。夫婦なのだから、格好つけても始まらない。ごく普通な気持ちだった。相手の身になって自然にいたわることを、この年になって覚えたようだ。旅は大変だったが、少し「大人」になった気分だ。
◇アルバムを開くと、ラオスの人々の素朴な笑顔が写っており、「サバイディー」と元気な挨拶の声が聞こえてきそうだ。あのとき、われら夫婦がどんなに苦労し、互いの存在に頼っていたかなんてことは、自分たちの写真からは伝わってこない。いくら苦しいときでも、シャッターが切れる一瞬だけは、にっこり、ピースなんかしていたからね。


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44. 旅の重さ・旅の軽さ (琉球新報)

◇ 旅の良さは人それぞれです。解放感も味わえます。旅先ならではの経験もできます。風景や食べ物だけでなく、土地の人、旅の人、そして未知の自分自身と出会うことだってあります。気持ちが軽くなればアンテナの感度も鋭くなり、歩幅もぐっと広くなることでしょう。
◇荷物をいかに減らして過ごすかということも、重要になってきます。荷を自ら背負って歩き回る旅では、行動半径や行動意欲はザックの重さに反比例します。身軽ならば簡単にできることが、荷が重いため、おっくうになって取り止めてしまうことがあります。面倒になって、ついつい妥協しやすくなります。その日の宿さがしだって、フットワークの軽さが、快適な安宿を見つけるための条件になるのです。
◇出発前の準備段階で、持っていくか迷う物が出てきます。自分自身で荷物を持ち歩かないような旅なら、迷ったときは入れていくのもいいでしょう。歩く旅、背負う旅では、迷ったら置いていくことにします。迷うようなシロモノは、無くてもなんとかなるわけで、たいていは使わずじまいになります。旅から帰って、不要だった物の多さに気づきます。
◇自分で持ち歩くことを考えれば、紙一枚だって軽いほうがいいでしょう。綿密な計画書や詳細なガイドブックは重たいだけで、かえって歩きにくいものです。荷は、どんどん減らします。短い旅も長い旅も、荷物の量が大きく変わることはありません。絶対に必要な物って、そんなにあるものではありません。余計なものを持たない生活ができることも、旅の良さです。自分にとって何が余分だったのか、旅を通してよく分かります。
◇背中の荷物だけでなく、今の自分を飾っている雑多なモノも置いていきたいものです。職業肩書き。氏名年齢。経歴や住所国籍。相手に合わせた外向きの顔つきと言葉づかい。できるだけ身を軽くしてから旅立ちたいものです。いくつもモノを抱えたままでは疲れます。歩く気力が萎えてしまうでしょう。
◇自信がないと、ついつい「荷物」が増えてしまいます。不安を取り除き、威厳を保つため、「荷物」から離れられないのです。それで結局、行動に支障をきたし、自分自身と出会えるチャンスもなくします。荷物が邪魔して、美しいものも見えてきません。小さな水たまりも、飛び越そうとしなくなります。汚れそうなことは、最初から避けてしまいます。
◇理想を言えば、「言葉」や「思想」も置いていきたいものです。それに頼ると、視野がその範囲に限定されてしまい、小さな旅になってしまいます。金銭も含め、これらを全く持たずに旅することは至難の業ですが、せめて、余分には持たないようにしたいと思います。
◇大きな「荷物」を持ったままでは、ふらっと途中で降りることは難しいでしょう。いつだって、どこにだって、自由に立ち寄れるんだってことに気づかないままです。
◇「旅」に出ることも、「旅」のコースを変えることも、思い立ったらすぐに実行したいのです。「旅」の途中でも構いません。身が軽くなれば、それだけで歪んだフィルターが外れます。見慣れたはずのくすんだ景色が、本来の自然な色に戻るでしょう。
◇のしかかってくる「旅の重さ」を全身でしっかり受けとめるためにも、身を軽くしておく必要があります。「旅」のスタートは、知らないうちにもう切られているかもしれません。


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45. 風に酔い、風に舞い

◇ なつかしい風の薫り。 甘く淡くちょっぴり切なく、幼い日の記憶かと錯覚させるような心地よい匂い。
◇土や木や水や花。大地と森と大気。農夫や老人、母親と子ども達。それらが混然となって醸し出す「風のシンフォニー」。

◇いつだって旅の途中かも知れない。

◇ 旅をしていると、なつかしい風の薫りにときどき出遇う。そんな偶然に感謝して、安っぽく酔わせてもらうことにする。
◇そのときの風には、わずかながら自分自身の 「匂い」 だって混ざっている ―そう思えれば、 空気がさらに濃くなって、景色がいっそう鮮やかになる。 自惚れている。謙虚なだけでは、旅は続かない。

◇ 街に住んでいたときも、そんな薫りに気づくことが時折あった。
◇ようやく夏が終わった日、 銭湯へ向かう近所の姉妹とすれ違い、挨拶を交わしただけの夕暮れの一コマ。
◇集金バイクにまたがったまま、 ぼんやりと見つめた初冬の陸上グラウンド。
◇だれだって、そんな日には素直になれる。

◇ 不思議な場所で、その薫りに出合った。 慶尚南道、韓国の南東部になる。 鈍行しか停まらない小さな駅に降りたときから、なにか予感させる清々しい空気があった。
◇古陵へ向かおうと川岸に出たときだった。辺り一面、コスモスの大群落が迎えたのだ。川に沿ってコスモスが、どこまでもどこまでも夢のように続いている。
ところどころには古い土塀なども見え、小さな家が納まっている。 野菜をかかえた女たちが通り過ぎる。その後ろを裸足の幼児が追いかけていく。 水は大きく、ゆったりと流れている。このゆるやかな時の流れが、すべての薫りの源になっているのだろうか。なつかしいその薫りに、全身をゆだねてみる。

◇ 旅人は、風に酔ったようだ。 彼は臆病さから解放され、 おやおや、 異国の人々に自分から話しかけている。 片言の異国語でも通じているようで、美しい笑顔が返ってくる。 母親が何か話しかけてくるが、それは全く分からない。そのことを告げると、また笑顔が返ってきた。言葉は異なっていても、同胞であるという想いが強くなる。
◇いつのことかは分からないが、記憶の中にこの薫り、しかと有る。 生まれる前のことかも知れない。 あなたたちとも、どこかで逢っている気がする。
◇同じ風の薫るこの地にも生活がある。歴史があり、人生がある。 偶然そこで出逢ったあなたたち。 あなたたちのその笑顔ひとつが、心細い旅人をこんなにも晴れやかにさせてくれる。

◇ この薫りとつぎに出合えるのは、いつだろう。 そんなとき、 迷いこんできた臆病な旅人を、そのまま素直に酔わせておいてほしいのだ。 旅人はしばし、有頂天で舞うだろう。


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46. 俺達のほしいものは(NHKあたらしい沖縄のうた)/芭蕉の里/平原暮色/道―MICHI―/少年


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47. 映画の友

my favorite movies 30 (製作年度順)
ワクワク。メラメラ。キュン・・。

スミス都へ行く 1939(アメリカ)
十二人の怒れる男 1956(アメリカ)
丹下左膳 決定版 1958(松田定次)
日本の夜と霧 1960(大島渚)
青い山脈 1963(西河克巳)
モスラ対ゴジラ 1964(本多猪四郎)
網走番外地 北海篇 1965(石井輝男)
ひまわり 1970(イタリア)
暴力団再武装 1971(佐藤純弥)
博徒外人部隊 1971(深作欣二)
現代やくざ 人斬り与太 1972(深作欣二)
女囚さそり 第41雑居房 1972(伊藤俊也)
砂の器 1974(野村芳太郎)
仁義の墓場 1975(深作欣二)
沖縄やくざ戦争 1976(中島貞夫)
キリング・フィールド 1984(イギリスほか)
カンフーキッド2 悪ガキ6人衆 1985(台湾)
少年時代 1990(篠田正浩)
櫻の園 1990(中原俊)
12人の優しい日本人 1991(中原俊)
紅夢 1991(中国)
死と処女 1994(アメリカほか)
あの子を探して 1999(中国)
ココシリ 2004(中国)
ホテル・ルワンダ 2004(南アフリカほか)
草の乱 2004(神山征二郎)
イラク―狼の谷― 2006(トルコ)
アイスカチャンは恋の味 2010(マレーシア)
海街diary 2015(是枝裕和)
タクシー運転手 2017(韓国)

◇特選4作
アイスカチャンは恋の味, 草の乱, あの子を探して, タクシー運転手

主演女優賞 大浦みずき(宝塚ベルサイユのばら 1990)
   〃  ウェイ・ミンジ(あの子を探して 1999)
主演男賞優 大魔神(1966)
   〃  金子正次(竜二 1983)
助演女優賞 三原葉子(新東宝・東映)
   〃  芦川いづみ(日活)
   〃  つみきみほ(櫻の園 1990)
助演男優賞 待田京介(東映)
   〃  郷鍈治(日活・東映)
   〃  戸浦六宏(日本の夜と霧 1960)
   〃  北村有起哉(草の乱 2004)
   〃  ユ・ヘジン(タクシー運転手 2017)

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48. 古い嘘 (第1回名桜文学賞)

・ 爽やかや大言壮語のなかゆくい
         
・ 老犬が妙に甘える今日の月
            
・ 粛粛と書類を捨てる夜半の秋
           
・ 宵寒や古い日記の古い嘘
           
・ 機を織る君の気だるさ冬隣

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49. 極上の酒 ー歌壇2021ー (第43回琉球歌壇賞)

・百段を一気に登り見晴るかす沖縄島の風の里山

・備瀬崎へ続くフクギの並木道こもれび淡く影やわらかく

・坂道をようよう上り折り返す少女の住まう石畳の首里

 ・五十年ぶりに訪ねる天主堂やはり氷雨の石の坂道

 ・祭壇のイエスは昏く諸人が神を讃える底冷えのミサ

 ・小雪舞うオランダ坂の洒落たカフェ気分はスフレとココアのセット

・機織りの物憂い音が不規則にわたしを揺する悪酔いの朝

・片降(かたぶ)いの雲はみるみる近づいて積まれたキビとわたしを濡らす

・約束はぽんぽんぽんと破られて何処かで眠る普通のあなた

 ・ゆったりと塩むす喰らい茶を啜る芭蕉畑の午後の木洩れ日

 ・奄美へと向かうフェリーの甲板に見送りのない少女が頬(ほお)えむ

 ・山頂の拝所へ西の風強く脆いわたしが崖上に立つ

・火点(ひとも)しごろ渚の岩に寄り掛かりハモニカを吹く旅の老人

・勝連の石垣うねる城址(しろあと)に十三日目の月のたおやか

・煌煌と月の岬へ向かうみち喇叭(らっぱ)飲みする極上の酒

 ・座布団の対角線の真ん中に息子が刺した鉛筆の穴

 ・伊江島が望めるカルストの山で温いビールと少しオカリナ

 ・眉月の十度に浮かぶ内海へ水切るようにアンダースロー

・あれがベガ銀河を隔てアルタイルこの惑星にあなたと誰か

・星を見て夢を語った鳩間島ぼくの名前を覚えていますか

・もう一度きみと何処かで暮らすなら例えば風の吹き荒ぶ町

 ・石段を登る津波の避難所に痩せて汚れて動かない犬

 ・牡蠣殻の散らばる作業小屋跡にまだ新しい百円ライター

 ・廃校の校長室の出窓から海いっぱいに空いっぱいに

・暴風に怯える犬を抱き寄せる進路予想は変わらないまま

・台風の遠のく糸芭蕉畑かんかん照りが泥濘(ぬかるみ)を射す

・キョロロロと啼く鳥ふいに居なくなる嵐の過ぎた森の静謐(せいひつ)

 ・気紛れに交わした小さな約束を君は忘れてわたしは破る

 ・釣りびとも中学生も犬も去り喜如嘉の浜に上弦の月

 ・恙(つつが)なく見事に老けていま旧友(きみ)と縁側に坐すさあさ一献

・脱藩の龍馬の径は苔むして彼の日もかくや朝の薄霧

・年老いた遍路が歩む沈下橋(ちんかばし)チリンと鳴らしママチャリが抜く

・寂(せき)として犬さえ吠えぬ旧道の闇の向こうに自販機ひかる

 ・言い訳は三つ四つあれど負けは負け酔えないままに秒針を追う

 ・いつまでもしかめっ面が収まらぬ土曜の午後のぼくの小心

 ・敵さんは勝手に逝って残された融通利かないわたしの戦意

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50. 短歌とか俳句とか

短歌とか俳句とか、載せています。

31音あるいは17音の中に、思いを凝縮した私的な物語です。

音数を制約とはとらえず、様々な表現を試せるリズム媒体と思っています。

リズム重視の、ぶっ飛んだ省略詩です。

なあんとなく感じていただければ、嬉しく思います。

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ーmy favorite short poemsー

・神のごと遠く姿をあらはせる阿寒の山の雪のあけぼの (石川啄木)

・マッチ擦るつかのま海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや (寺山修司)

・「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ (俵万智)

・右腕に<沖縄人>と彫りてあるジョンと知り合う週末のバー (屋良健一郎)

・また春は春が描けぬと悩みながら春の野原の風に吹かれぬ (奥田修一)

・セルロイドの鬼の面を握りつつ道化少年真夏に死せり (浅田洋二)

・酔ひ深き夫がそこのみ繰り返す沖縄を返せ沖縄を返せ (佐藤モニカ)

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・想い出すことみな悲し秋の暮れ (井上伝蔵)

・こんなよい月を一人で見て寝る (尾崎放哉)

・鞦韆(しゅうせん)は漕ぐべし愛は奪うべし (三橋鷹女)

・コスモスなどやさしく吹けば死ねないよ (鈴木しづ子)

・ふいに雪降るいつよりの空席か (平山道子)

・黒板に Do your best ぼたん雪 (神野紗希)

・芭蕉布や月光の色放ちけり (関口邦子)

・迷いなき想いを綴る熱帯夜 (大西芳恵)

・水の地球すこしはなれて春の月 (正木ゆう子)

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・青年の見つめし山もつつまれて朔北の野に降りやまぬ雨

・遙かなる屍(しかばね)たちの峠より見よ叛逆の八車線道路

・ゆったりと塩むす喰らい茶を啜る芭蕉畑の午後の木洩れ日

・もう一度きみと何処かで暮らすなら例えば風の吹き荒ぶ町

・朝まだき冷えた砂丘の峰に立つ天とわたしの威風堂堂

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・春浅し拳の中は夢の嘘

・白南風や女の嘘が終わらない

・星涼し解かれた腕が北を指す

・宵寒や古い日記の古い嘘

・酩酊の空にオリオンあとは闇

                   第25回大伴家持大賞

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51. 冬銀河

・春立つやわたしは川で布洗う

・決行を一日延ばす浅き春

・朔北の夢の駅舎へ雪解風(ゆきげかぜ)

  ・廃線の駅舎を叩く大夕立(おおゆだち)

  ・鐘涼し何処かで迷う今日の宿

  ・白南風や女の嘘が終わらない

・天高し口笛上手い女子高生

・ひとつずつ葡萄の種の憎きかな

・恰好(かっこう)の石で水切る星月夜(ほしづくよ)

・童顔のおんなつぶれる良夜かな

・あっけなく成就する恋かぜの秋

  ・小春日や俺はいくつになったのか

  ・しんしんと寄り添う古都の坂の雪

  ・レコードの艶歌のような雪の宿

  ・いますこし雪を聴いてる古都の朝

  ・足跡がふいに交わる雪の朝

  ・冬蝶や昨夜(ゆうべ)の誓い今朝の嘘

  ・息白くおばちゃんたちと待つ始発

  ・酩酊の空にオリオンあとは闇

  ・ここからはわたしの夢と冬銀河

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52. 威風堂堂

・軍港を見下ろす丘の公園に少年ひとりバイクとわたし

・鈍色(にびいろ)の空に三機のヘリコプターわたしを目掛けぐいと近づく

・空っぽの拳を緩めまた握る薄暮の海に大陸の風

  ・やんばるの風の岬に揺れて耐えドラマのように島影を指す

  ・童顔のおんなに貰うチョコレート奄美へ向かう真冬のフェリー

  ・港ではブラスバンドのお出迎え島に下り立つ坊ちゃん先生

・女将さん似合ってますね割烹着この一杯で最後にします

・サイレンが途切れ途切れに近づいてふいに静まる深酒の宿

・朝まだき冷えた砂丘の峰に立つ天とわたしの威風堂堂

  ・断捨離の古い手紙の追伸にきみの優しいちっぽけな嘘

  ・書きかけの五線譜これは廃棄して処分できない二十歳(はたち)のポエム

  ・良き夜のスマホ動画はモノクロで「愛の讃歌」のエディット・ピアフ

・巡礼のお四国まわる御夫婦は昨日も今日も目を伏せたまま

・少年が帽子をとってお辞儀するなんとか村の朝の自販機

・廃線が決まり俄かのファンが来るゲリラ豪雨が駅舎を叩く

  ・普段着の着物で笑う少女たち小橋の架かる堀割りのみち

  ・古刹では女子大生と連れになり粋人ぶって一句したたむ

  ・縁切りを絵馬に託して手を合わす変わり身下手な淑女が揺らぐ

・棒読みと質疑ふたつの説明会ちょうど八時で幕の段取り

・宿敵の仕掛けた罠は巧妙で途切れたままの二勝三敗

・水面をぴんぴぴぴんと投げる石こころを決めるまでの十秒

  ・真っ直ぐに目を見て話す女生徒の進路希望は看護大学

  ・天性の猫撫で声で迫られて武装解除を繰り返す秋

  ・二年後の夢はやっぱり絵空事もっと戯(おど)けてふやけて語ろう

・このまちは優しくなんかありゃしない優しくなんてできなかったよ

・べた凪の東シナ海どこかの灯こんな夜なら《ちあきなおみ》が

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53. 聖地巡礼

・鴨川を飛び石づたいに渉るなら颯爽として少女のように

・千本の鳥居をくぐる風の宵きみの敬語がぼくを惑わす

・ガス燈の火影の尽きる欄干にお茶缶を抱く老人と犬

  ・残された勉強机の引き出しに塗り潰された誰かの名前

  ・ひとつずつ絡めた指がほどかれて蛍火を追うあなたの真顔

  ・大騒ぎ終えて残った「世話焼きさん」ぐでんぐでんの僕は此処です

・脱衣所に置かれたシャツは特大でブラジル人とゆるむ野天湯

・灯を消せば闇となりけり野天の湯おそらくあれが獅子座のレグルス

・朔北の原生花園に花はなくここらが旅の折り返し点

  ・凡庸な五文字を君は切り出せず黙りこくった海辺のコーヒー

  ・わがままな熱い季節はとうに過ぎ取り外された大観覧車

  ・戯言(たわごと)を抜かせば犬が吠えてくる空元気出す深夜の誓い

・ソウル発高速バスの終点は北に接するそれだけの街

・秋桜は旧道沿いに咲き誇る古陵までは徒歩十五分

・ハングルがぽつぽつ読めるようになり名札で分かる貴女はスンジャ

  ・退屈な約束ばかり交わされて同窓会は不意にお開き

  ・五十年ぶりに見(まみ)えるマドンナは僕の全てをお忘れのよう

  ・「肩組んで校歌を歌おう」そう言われみんなほんとに立ち上がったよ

・ヴェネチアの運河を渡る小舟には犬と野菜とおんなの笑顔

・気ぜわしく大運河を出る満員の水上バスに十二時の鐘

・サンマルコ広場の「ラストダンス」では欧州マダムに誘われるまま

  ・それっきり行方知れずの阿婆擦れさん潔くないわたしは阿呆

  ・未練など些かもない君の名を文芸欄に認む地方紙

  ・再会はあっけらかんと進行し粛粛と食うペペロンチーノ

・古書店にアイヌ語辞典売り渡し真っ直ぐ戻る赤煉瓦みち

・緑青(ろくしょう)のニコライ堂のドームより坂を下れば冬の太陽

・なにもかも装い変えたこの街にどっこい終わらぬ二階のランチ

  ・あのころのまんま、そうだよ赤煉瓦あなぐら茶房に学生の歌

  ・どこからか幽霊たちの労働歌フルコーラスで歌ってら、ふん

  ・そんなもん有るわけもない[青春]の「時代」を探し聖地巡礼

・少年と漫画雑誌を交換し一時間待つ駅のストーブ

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54. 新北風(みーにし)

道行く人々が

速度を緩めて歩きたがる

ちょっと気取った昼下がり

いつものストリートが

いつもとどこか違っている

この穏やかな秩序はなんだろう

 □ □

新北風が吹いたのだ

長かった夏を終わらせたのだ

空気の不安が取り払われ

端から端まで見渡す限り

街は

北風に淡く染められた

空へ空へと見通す限り

島は

北風にやんわり包まれた

季節を変える気紛れな悪戯‥‥

新北風が吹いたのだ

 □ □

それに気づいた車椅子のご婦人も

気づくはずのない地域の英雄も

お喋りに疲れてきた高校生も

バスを待ちつづける老夫婦も

みんなみんなあっさりと

新北風に吹かれて美しいのだ

あれまあ屈託のない笑顔を

これみよがしに向けてくる

誰だって敵うわけがない

誰も彼も新北風に支配されたのだ

 □ □

だが

新北風の思い上がりも

一日かぎりと知れている

あとはいつものように

疎まれるだけなのだ

ならばせめて

いまは素直に屈していよう

ご婦人も

英雄も

高校生も

老夫婦も

みんな素直に従っている

 □ □

わたしも新北風に抗わない

そして

秘密だが

美しいわたしの姿を

硝子に映してみせるのだ

秘密の秘密だが

街の硝子という硝子のすべてに

美しいわたしの姿を

これ見よがしに映してみせるのだ

振り返る人はいなくても

新北風に支配されたわたしの姿を

まばたきせずに眺めていたい

新北風は

悪人風情を美しく包んでくれる

 □ □

今日は

新北風が吹いたのだ

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55. And I Love Her

 上の妹が五十九歳になったとき、一年後に還暦記念のイベントをしようと盛り上がった。家族演奏会を開き、録画して、DVDに残そうとまで決まった。妹のいる福岡に集まるので、沖縄で暮らす私たち夫婦も、予定を合わせることにした。

 妹は本職のミュージシャンで、ピアノとシンセサイザーの奏者だった。テレビの「のど自慢」で伴奏をすることもあり、腕は折り紙付きだ。義弟も、数年前までは、地元のサックス奏者だった。この二人がいれば、どうなろうとも形にはなる。

 私の古いギターは、弦が錆びついている。しばらく触っていなかった。早速、新しい弦に張り替えた。下の妹は、小学六年でピアノに挫折した。広がる一方の姉との差に、嫌気が差したからだ。それでも練習すれば、演奏会にはなんとかなる。問題なのは母と妻だ。戦力外ではあるが、必ず参加してもらう。いざとなれば、鈴とかマラカスを持って、立ってくれるだけでもよい。家族全員参加が絶対条件だった。

 沖縄と福岡で、曲の選択に入った。ビートルズの「アンド・アイ・ラヴ・ハー」を提案すると、妹たちもすぐに賛成してくれた。ポール・マッカートニーが叙情的に歌うラブソングで、十代のころ、私の買ったレコードを妹たちも聴いて育っている。演奏会なので、せめて三曲は必要だろう。ほかの曲が思いつかない。合同練習は遠距離で無理なので、当日はぶっつけ本番になる。そのため、自主練習はしっかりやる。母や妻でも演奏に参加できそうな曲を探していた。

 □ □ □ □ □ □ □ □ □

 下の妹から緊急連絡が入った。上の妹に重大な病気が見つかり、入院するという。前回、酒の量がいつもより少なく、ほとんど食べていなかったことを思い出した。演奏会の話題は、その日から出なくなった。

 しばらくして、妹は退院した。完治したわけではない。一時的な帰宅だ。福岡まで見舞いに行くと、様子が変わっていた。髪を帽子で隠している。薬の副作用のせいだろう。声も弱々しかった。とても、演奏会の打ち合わせなどできない。食事も、ほとんど摂らなかった。それでも退院したことで、楽観的に考えた。誕生日までに元気が戻れば、楽しみにしている演奏会が開ける。還暦祝いには、予定どおり全員で集まりたかった。

 しばらくは連絡がなかった。こちらからは何も聞けない。ほろ酔いでギターを抱え、「アンド・アイ・ラヴ・ハー」を歌ってみる。演奏会ではヴォーカルは入れず、義弟のサックスをメロディーにしたい。ピアノは本人にまかすとして、各パートの譜面を考えていた。みんなの演奏能力を越えないようにとの注文で、編曲は私の仕事になった。

 □ □ □ □ □ □ □ □ □

 夜遅く、妹が亡くなった知らせが入った。翌朝、妻と福岡に向かう。覚悟はしていたが、急だった。遺体はすでに、葬儀場の一室に運ばれていた。翌日まで、そこで家族と一緒に過ごすのだ。

 通夜の席で、葬儀は「音楽葬」になると聞かされた。死んだ妹の意向でもあったようだ。どんなものか、私には見当がつかない。その言葉も、初めて聞いた。静かに送ってやりたいものだが、喪主は義弟だ。すでに、決定済みだった。

 葬儀の日、祭壇に楽器がセットされた。ピアノやドラムも置かれている。本格的で、大がかりだ。演奏するメンバーは、妹の音楽仲間だった。「のど自慢」の画面で、見覚えのある演奏者も何人かいる。なにが始まろうとしているのか。にぎやかに送ろうという趣向なら、私は賛成できない。

 妹の顔は、穏やかだった。少し微笑んでいるようにも見えた。コンサートで着るような、ワインレッドのドレス姿で横たわっていた。妹の最期は、フランス人形のように美しく思えた。

 宗教色のない葬儀だった。妹にお別れするために、大勢が集まってくれた。別々に暮らしていたため、私の見知っている参列者はいなかった。兄妹で、互いの生活のことには立ち入らなかったので、交友関係は分からなかった。

 柩の妹に献花が始まると、演奏も始まった。どこかで聞いたことがあるが、曲名は分からない。クラシックやレクイエムではなく、映画音楽かミュージカルのナンバーに思えた。とても静かに、厳かに流れ、妹の哀しい死を実感した。小さいころからピアノに親しみ、妹は、それを一生の仕事にしてきた。音楽仲間が想いを込めて演奏し、妹をいま、送っているのだ。その調べの中で、みんなそれぞれが、お別れの対面を済ませた。

 参列者の献花がすべて終わり、壇上は演奏者だけになった。「アンド・アイ・ラヴ・ハー」。最後の曲だった。妹が生前に頼んでいたのか、偶然なのか、その曲だった。もともと静かなゆっくりしたバラードだが、さらに落ち着いた演奏だった。メロディーは、サックスが担当していた。妹の仲間たちが、粛々と送ってくれた。

 印象に残る素敵な音楽葬だった。素敵という言葉は違和感があるが、妻も下の妹も、火葬場の煙突から昇る煙を見上げて、そう言っていた。

 家族演奏会ができなかった。楽しく還暦を祝うはずだった。妹の六十歳の誕生日まで、あと十八日だった。

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 沖縄に戻り、書きかけだった「アンド・アイ・ラヴ・ハー」のパート譜を処分した。家族で演奏することは、もうない。一度だけ、妹の誕生日に当たる日、ギターも使わず歌ってみた。最後まで歌えなかった。

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56. 運の無さ

・バス停の春の陽だまり眠り猫

・たんぽぽの踏まれ続ける運の無さ 

・パーラーの客のためいき蝶の昼

  ・つばめ来る貧しき家を選び来る

  ・老犬と貧しき庭に春時雨

  ・廃校の花壇あたりで猫さかる

・虹薄く大差のついたスタジアム

・大南風(おおみなみ)さてさて今日の運の無さ

・義父(ちち)の研ぐ鎌の切れあじ青芭蕉

  ・有明の月すれすれに貨客船

  ・秋の雲あしたが土曜だったかな

  ・行き先のハングル読めて風の秋

・川霧や憂いの消えた令夫人

・二日目も待ち人は来ず秋夕焼

・積年の恨み忘れて竹の秋

  ・秋霖や旅の火照りの冷めるまで

  ・観覧車そっと軋んで秋気澄む

  ・明日からは内地の暮らし星流る

・大陸の風は気紛れ波の華

・優しさを君に届ける野水仙

・雪しまく足跡たどる里の駅

  ・悪人や真顔で祈る降誕祭

  ・望郷や咳き込むごとに憎き顔

  ・山里に木魂(こだま)二秒の大くさめ

・捨て猫と小(ち)さく籠りて春を待つ

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57. 青いシャツ

・不貞腐れきみの帰ったテーブルに忘れていった誰かの詩集

・夭折の詩人を真似て空を見る俺は「数え」で何歳だろう

・逃げるよう内地に戻る隣人の置き捨てられた消火器と傘

・洒落込んでさっと着替えた青いシャツ鏡に映る青い老人

・レコードのシャンソン流し部屋掃除それなら午後は気取ったワイン

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