工房の所在地、大宜味村安根を巡る徒然日記(文責 森山高史)
2011年3月のあの日から、10年過ぎました。
その時期、娘夫婦は仙台に住んでいました。
当日は昼から山形に出ていて、震度は仙台より幾分小さかったようです。
しかし、仙台に戻ってからの生活では、相当苦労したようです。
風が吹けば桶屋が儲かるくらいの距離で、私の身にも変化がありました。
1994年、エッセイの全国公募で最優秀賞を得ました。
冠に「TEPCO」と付く大賞でした。
TEPCOは、東京電力の英文表示の頭文字です。
東京電力のPRとして、カラーページで週刊誌に全文掲載されました。
エッセイの内容に合わせて、そのイメージ写真も撮られていました。
東電管内の世帯に配布される冊子や、地元の新聞でも紹介されました。
そうするものだと思って、自宅の居間に賞状を飾りました。
電気に関するエッセイ募集で、友人の電照菊栽培の話でした。
爽やかに17年が経過しました。
そこへ、あの大きな事故です。
東電本店幹部の説明は、真実味と誠意に欠けていました。
事故前も事故後も、東電の対応には納得できません。
現場は必死に対処しているのに、東京の本店は責任逃れで必死でした。
東電のイメージは悪くなる一方で、被災住民からは非難の的になりました。
わたしの賞状が、恥ずかしくなってきました。
賞状の額は、娘夫婦の写真と取り換えました。
関東周辺と違い、こちらでは「TEPCO」が東電とは知られていません。
それでも、わたし自身はその略語の意味を知っています。
共犯者の気分で、受賞の事実を封印することにしました。
10年の歳月を経て、どうやら呪縛が解けました。
自ら解きました。
テレビでは、ちょうど10年ということで、特集が組まれています。
当時の本店責任者の顔が映り、複雑な思いが込み上げてきます。
賞状は、もう、どこへしまったかも忘れています。
エッセイ全文が金属に刻まれた、副賞の盾を出してきました。
風が吹けば桶屋が儲かる距離で、震災は私の身に影響を与えました。
娘夫婦に関しては、震災後に引っ越して、隣県で二児を得ています。
2012年8月、猛烈な台風に襲われました。
豪雨で、工房を囲む安根川の護岸が決壊し、一面が水浸しになりました。
避難することも難しいくらいに、水流が一気に増しました。
そのときの水の勢いでも恐怖でしたが、津波はその比ではないでしょう。
明日晴れたら、裏山の藪を鎌と鋸とロープで整備しておきましょう。
津波が来たときの緊急避難路を、さらに上まで伸ばします。
獣道とダブりますが、いざそのときは、猪も犬も一緒に上へ逃げましょう。
その労力が無駄になるほうが、好ましいこともありますが。
あらためて、いろいろ考えさせられる、10年後の今日でした。
2021年3月